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濱田 康子さん

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Date: Apr 3, 2020
Author: 編集部 153 コメントはまだありません

たくさんの人に支えられ
このまちの変化や歴史を残す

開発でケヤキの木が…
守りたくて移植を訴えた

昭和42年。会費制で挙げた結婚式を済ませ、多摩町のご主人の実家に挨拶に来た23歳の康子さん。予想だにしなかった対応に思わず裸足で飛び出し、裏の貝取山まで駆け上りました。

「わあ、どうしよう、と驚いて…」

真っ白な足袋と草履を手に、そんな康子さんを迎えにきてくれたご主人の背中越しに見えたのが、家の傍らで寄り添うように立つケヤキの木でした。

「まるでドラマのようでした。ああ、私は大丈夫。このケヤキが見守ってくれる。夫を育んでくれたこの風土を育んでいこう、生きていこうと思うことができたんです」

そんな中、多摩ニュータウン開発に伴う区画整理が始まり、何百年にもわたって同じ地で暮らしてきた濱田家も移転を余儀なくされます。

「庭にあった木も随分と切られました。そして、私にとってかけがえのないケヤキも伐採されることを知り、どうしても残したくて…」

康子さんは、実力行使に出ます。ケヤキを守るために移植を訴えたのです。康子さんの一生懸命な思いは伝わり、ケヤキの木は移植が実現。現在、多摩市永山にある永山第四公園の小高い丘の頂上で大きく枝を広げ、四季折々に、まちの人を癒し続けています

「嬉しかったです。そうだ、ケヤキと私自身を同化させていこう。このまちの変化や思い出を書き綴っていこう。そうすることで、これから生きていく喜びを伝えていこうと思いました」
そして、昭和62年1月20日、新聞「私はけやき」を発刊。現在までに139号を出し続けています。

 

 

自宅に多摩の歴史を残す
「郷土資料館」を

多摩ニュータウン開発では、それまでに培われた文化や歴史の保存が後回しになっていたと康子さん。

「これで良いのかと、自問しました。そして、せめて自分の知る範囲で、これまでの生活や文化を我が家の一角に残そうと決めました」

それが「多摩こども郷土資料館」。建物をはじめ庭の植物、石を新地に移設し、倉の中にあった貴重なものを、一つひとつ調べ、保存してきました。

「何よりも夫の協力があったればこそです。本当に感謝しています。そして、実にたくさんの方と出会い、支えていただき、今につながっています。館を訪れてくださるさまざまな方との交流は私の宝物。ああ、このまちで暮らして良かったと思うのです」

【プロフィル】

Hamada Yasuko
1944年生まれ。多摩市在住。
多摩ニュータウンの開発で伐採が決まったケヤキの木の移植を訴え、叶う。それを機に、このまちの変化や歴史を綴る「私はけやき」を発行し続ける。自宅は「多摩こども郷土資料館」として、このまちの古来のものを収集保管する場所に。
[開館](木)(土)10:00~12:00・13:00~15:00
※予約制
中学生以上200円
042-374-2883