スペイン紀行18「ここは日本のムラ?」(バレンシアその3)
旅仲間と久しぶりに会って、今宵はパエリアでも食しながら再会を祝しようか、と相成った。パエリアはバレンシアが発祥の地なのだ。宿のスタッフにケイル君がうまい店を尋ねていると、傍らから「それなら僕の村でどう?」と声をかけられたと言う。
ここから南10㌔にあるアルブフェーラ自然公園沿いのエル・パルマール村の若者で、たまたま宿に用事で来ていたらしい。この村がパエリアの元祖の地という。それならとアルバイトで案内を頼むことに意見一致。
若者にツアーバスが出ているレイナ広場まで連れていかれた。バスは真っ赤な車体で「ALBUFERA」と行き先を表示してある。料金15ユーロ。車体の日の丸は日本語音声ガイド付きのマーク。車は市街地を南下し、トゥリア川を渡り、CV500号線を突っ走った。
30分ほどか。アルブフェーラ湖に着いてその風景に驚いた。まるで日本の農村風景を見るようだ。緑の水田が広がり、田のあぜ道と雑草の生え具合が日本の田舎とそっくり。湖面には笹船ようの小舟が何艘も浮かんでいる。水郷・潮来のサッパ舟(ろ船)の櫓を漕いで案内するのとまったく同じ。
パエリアは、この米あってこその料理。ここエル・パルマール村の目抜き通りにはなるほどパエリア・レストランが目白押しだ。8世紀、北アフリカのムーア人が持ち込んだ米がバレンシア人の好みに合い、あっという間に水田が普及。地元の新鮮な魚介類と掛け合わせてこの料理が生まれた。
パエリアの語源はフライパン。そういえば、自転車でうろついている時、市内でパエリア鍋専門店も見かけた。ここには120人分のパエリアを作れる巨大鍋もあるとか。
人口1,000人足らずのこの村には東京ドーム3,000個分に当たる14,000㌶もの水田が広がる。欧州のコメを支えているのか、EUから1㌶当たり1,100ユーロの補助金支給も。
日本の農業技術も大いに貢献しているらしい。クボタのトラクターなど積極的に利用されているという。風景だけでなく米作りそのものも日本の稲作技術と同じなのだ。
それにしても原料の産地にそれを食べさせる店が増えるという発想が面白い。コシニシキの特産地新潟・中越のある村にドンブリ飯屋が居並ぶ構図と同じではないか。
案内の若者はジャン君といった。隣村の農家の育ちでバレンシア工科大で農業技術を学んだ優等生。「日本人の好きなものまだあっるよ」と案内したのがウナギの養殖。これも確かに日本風風景だ。
スペインではうなぎは「グーラ」と呼ぶそうで、ほとんど稚魚しか食べないという。オリーブ油とニンニクで稚魚を煮込む「アルアヒージョ」という料理でタパスの一種。
「しかし、バレンシアではこの村の水田でウナギが繁殖したおかげで、唯一、成魚を食べるんです」
さあ、そろそろパエリアだ。ここではバレンシアオレンジの薪を使ってぐつぐつ煮込む、まさに本格派。休日ともなると、4,000人に近い人が押しかけるという。老舗レストランに案内された。魚介類がたっぷり入った特製パエリアだ。ジャン君はパエリアとパンを交互に食っている。
「パエリアはおかず。主食はパンなんだ」
食事とワインを堪能し、再び湖畔に案内されると、まさに幻想的光景が広がっていた。この夕景自体、日本風ではないか。酔い覚ましに歩きながら抒情的な風景に見とれた。ケイル・美帆カップルもうっとり。傍らに座っていたクレマンさんが「さあて」という感じでみんなを促した。どうやらそろそろ引き上げたいらしい。
そういえば、親指を立ててご機嫌だったあの様子について、まだ何も聞いていなかった。スマホの翻訳を開いて「何だったの?」と尋ねてみてびっくりだ。まったく人は見かけによらぬもの、とはこのことか。