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モリテツのスペイン紀行42 「聖地のパラドールへ」 (ポルトマリン~サンティアゴ・デ・コンポステーラ)

ポルトマリンを発ち、人口8,000人の都市メリーデに向かっている。バス便乗り継ぎと歩きの併用だ。退屈はしない。この石積みの家は住家だろうか。古ぼけた一軒家の前で思わず立ち止まった。こんな農村にもBARはある。カウンターを配した木造りの店内に趣がある。顎ひげにべっ甲の眼鏡が似合う70代の主人が森で拾った木の杖を見て「ちょっとよこせ」とスペイン語で言った。奥に引っ込んで孔雀緑の羽根を持ち出すと紐で丁寧にくくりつけてくれた。

 猛烈に暑くなった。メリーデ市内のとある水飲み場で水をすすって顔を上げると、若い美女が立っていた。「ハポン? ハポネス?」と話しかけられ、「私はメヒカーナ(メキシカン)。ハポン、グッド」と嬉しそう。

 すらりと均整がとれ、黒い瞳が魅力的なベレムはサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学の留学生。「国際会議で仙台に行った父に、木の人形をもらったの」と微笑んだ。こけしらしい。卒業旅行はTOKYO。焼鳥屋とお好み焼きの美味い店を教えて、とせがまれ、昼食を共に。そこで出てきたパエリアの絶品だったこと。レオンの仇を討ってもらった感じ。

 メリーデからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでは52㌔。巡礼者でないにしてもこのままバスで聖地に入るのも味気ないので、4.4㌔手前のモンテ・ド・ゴゾで降りた。800㌔を歩いた人の感動を少しばかりお裾分けというわけだ。

 Camino最後の上り道の頂からは天に突き出す大聖堂の尖塔が望めた。だから歓喜の丘といわれる。

 それから1時間余。サン・ペドロ通りに入ると、渋い色合いの街中に噴水があるセルバンテス広場から柱廊が連なる舗道になり、1,000年の歴史の重みを感じる。ここがユネスコ世界遺産・歴史地区のど真ん中。

 目の前に大聖堂の勇姿が現れた。北側の路地から緩やかな坂道を下ると、オブラドイロ広場だ。キャラ色の石畳を敷き詰めた広場は飾りつけもなく質素だが、どこか厳か。

 巡礼者500人超。どの顔も輝いている。戦乱の国から訪れた人たち、祖国で飢餓の苦しみを乗り越えてきた人々……。国家や民族、肌の色、老若男女。あらゆる壁と境界を超越して満ち足りた笑顔が溢れている。こんなに幸せな表情を集めた世界を目にしたことがあっただろうか。

 若者たちが靴を目の前に置いてずらり横になっている。長い旅路を支えてくれた草鞋を聖ヤコブに捧げて感謝しようというのだ。笑顔が弾ける。聖ヤコブはスペイン語でサンティアゴ。大聖堂にはその亡骸を納めてあり、世界のキリスト教徒の聖地というわけだ。

 広場の西側には市庁舎、南側にサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学、北側にはパラドール「ホスタル・デ・ロス・レイエス・カトリコス」がある。

 パラドールとは古城や貴族の館などを宿泊施設に改修した高級ホテル。ここは15世紀の救護所跡だそうだ。記念の宿泊予約はしてある。なんと朝食付きで40,000円。清水の舞台からなんとかの心境だ。

 パラドールは、朝昼夜の毎日3回、10人のペルグリーノに高級料理とワインを無料で振る舞うとか。毎夕、順番待ちの列ができる。

 フロントで真鍮製の鍵を受け取り、名画が飾られた廊下を歩んで部屋に。派手さはないが、重厚にして格調高い雰囲気。「Restaunrante dos Reis」で豪華な夕食もとった。五つ星のベッドなど何十年ぶりだろう。今夜はゆっくり熟睡できると横になったが、真夜中、悲鳴を上げて叩き起こされ、頭に血が上ってしまった。

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