『もしもし』長谷川豊子の生きるということ
その23 「選ぶということ」

その23
「選ぶということ」
昭和37年春、私は定時制高校に入学。演劇部の初めての活動で、真っ白なワイシャツを腕まくりした先輩に出会いました。
その爽やかな姿に、即、憧れの存在に。高校生活が楽しくなりました。
でも、その先輩には思いを寄せる人がいて、私は、憧れを秘めたまま、部活に励みました。
それが、卒業を前に「映画を観にいこう」と先輩から誘いが。
驚きました。「映画に? 一緒に?」。
けれど実は私、以前から姉に「豊ちゃん、男の人に誘われても、映画館とか喫茶店とかそんな暗い所に行っちゃダメよ」と言われていました。
で、その教えを愚直に守った。
淡い初恋の終わりです。
その後、後に夫となる長谷川と巡り会います。
2回求婚されたけど、「ごめんなさい」。
それが、3回目の申し出に、〝断ったら、この人死んじゃうかも〟と思い、「はい」と返事してしまいました。
以来の同志です。
今となれば、彼のあの笑顔が私の宝物で、彼でなければ、『もしもししんぶん』はなかったと思います。
人生には節目毎に選択肢があり、その都度迷って選びます。
でも「この道」と決めるのは自分。
私は、今、これまでの自分の選択を良かった、と思っています。
多くの方に支えられ、この9月、『もしもししんぶん』は創刊40周年を迎えます。
迷い続けた40年でした。
でも、選んだ道は軌跡を刻んできました。
たくさんのご支援と縁に、〝本当にありがとうございます〟との思いがあふれてきます。
この感謝は、皆さんのこれからのためにつなげます。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
PROFILE
長谷川豊子(はせがわとよこ):
『有限会社もしもし』専務取締役。1985年9月、『もしもし』の前身である『奥さまもしもし新聞』を一人で発行。以来第一線で、編集者として取材・執筆・広告営業にと走り続けてきた。
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