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多磨高等予備校

小村洋の「大学受験生活対談」

東大名誉教授が語る
「大学受験生活は、苦しかったけど楽しかった。
自分を信じて、一つ一つ乗り越えていけば良い」

対談動画は、https://tama-yobi.comでご覧に!

東京大学名誉教授
松原望先生
(数学・統計数理学専攻)

小村「こんにちは。今日は、東京大学名誉教授、元上智大学教授、前聖学院大学大学院教授の松原望先生にお越しいただきました。先生、今日はどうもありがとうございます」
松原「ありがとうございます」
小村「松原先生は、私の知人の三島司法書士からのご紹介でお知り合いになることができました。先生の略歴をざっと申し上げます。1962年、昭和37年に、西高を経て東京大学理科Ⅰ類に入学され、昭和41年に卒業。専攻は数学、数理統計学。卒業後は、文部省に入省されて、研究の毎日を送られました。スタンフォード大学の数理統計学博士号を取得され、昭和47年に元の研究所に復帰されたんでしたね」
松原「ええ」
小村「筑波大の助教授を10年在職されて、昭和61年、1986年に東大の教授になられて、以後17年、統計学、統計分析で、毎年1,500人の教え子を数えておられる。あの有名な堀江貴文さんも先生の教え子さんでいらっしゃるんですね。ざっと略歴を申し上げました。ざっくばらんに思いつくことからうかがいたいんですけど」
松原「はい」
小村「先生の長い研究生活の中で、一番これが、思い出だってことはおありでしょうか?」
松原「それはもちろん、受験生活ですね」
小村「受験生活。先生ご自身の受験生活?」
松原「楽しかったですね」
小村「楽しかった」
松原「苦しかったけど楽しかった」
小村「西高のときですね」
松原「そうです」
小村「なるほど」
松原「やっぱり、受験っていうのは、世の中では苦しいとか、丸暗記だとか、などなど悪口を言われますけど。人間、あの時くらい一生懸命にやることって多分ないと思うんですよ」
小村「そうだと思いますね」
松原「充実していれば人生一番の思い出だし、一番の起点なんですよね、受験生活は。私は楽しかった。苦しかったけど、楽しかった」
小村「苦しかったけど楽しかった。そうですよね。私たちもよく言うんですよ、『大学受験は十代最後の試練の場』」
松原「そうです」
小村「それに正面からぶち当たって欲しいですよね」
松原「そうですね」
小村「その人の持てる力を精一杯ぶつけて欲しい、そういうふうに思いますね」
松原「そうです」
小村「今、学生を見ていて。かなり優秀だと、『これはいけるな』と思っても、ワンランク、ツーランク、スリーランク下のところを、下っていうと人格は別ですけども、妥協とは言いませんけど、『ここでいいや』って。第三志望辺りが受かると、『第一志望受けないわ』って言う生徒も中に出てくる。なんかもったいないな…って。うまくいったらいったで良いし、うまくいかなかったらいかなかったで、そのチャレンジしたっていう経験が残るわけですよね。だから、力いっぱい若者にチャレンジして欲しいってのが私の思いなんですよ」
松原「うんうん」
小村「今、先生がおっしゃったことに通じる部分があると思うんです」
松原「そうですね」
小村「そうやって、先生の一番強烈な思い出が大学受験だった。で、見事、最難関の最高学府の東京大学に入学された。その後の思い出って、いかがでしょう? 当時は安保ですかね」
松原「高校3年のときが安保でした。安保のときは、東京の高校だったもんですから、皆さん、『国会へ行こう』とか言って。皆さん行ったんですけどね。私は、『いや、それも良いけど、私は勉強したい』って言って、私だけ行かないで勉強してました。変わりもんなんですよ。まあ、私も、自分のことは自分でやりたいと思うから、あまり、人がどう考えてるかってことはさておき。自分さえ良ければ良いっていう気持ちはありませんが、自分の道は自分でやろうということについては、特に不安はありませんでした。一生懸命やりましたし、それは苦しかったけど楽しかったと思いますね」
小村「私もそうでした、多くの若者がそうだと思うんですけど、日本はそうはいっても、それなりに豊かでしたから、自分が食うには困らないんですよね。食うに困らないとどうかっていうと、私は親父が政治家だったこともあって、社会を良くしようってなことになるんですよね。ただ、自分が大学に入り、卒業して、食べていかなければならなくなると、まず自分の身の回りですよね。自分自身、あるいは自分の女房、子ども、そこをきちっとできてから世の中の仕組みに移るべきなのに、豊かな中で育ったから、ある面、学生が観念的になっちゃう。『安保粉砕』、もちろん良いと思いますし、その正義感ってのはとても尊く貴重だと思うんだけども、ちょっと足が地に着いていないかなと。ちょっと、私事を申し上げます。私は、1976年に中央大学法学部に入りまして、最初に行ったのが革マル派のデモだったんですよ。当時ロッキード事件がありまして、田中角栄逮捕の年でした。ロキード社から賄賂をもらった、〝よっしゃよっしゃっで五億円〟とか、〝ピーナツ・ピーシズ〟とかありました。で、『おかしいと思わないか』と革マル派の学生に言われて、『おかしいですよね』って。『じゃ、デモに行こう』って。『いいですよ』って。そしたら、ヘルメット被るのいやだったんですよね。何も悪いことしてる訳でもないのに、なんでヘルメットかぶるんだよって。肩抱いて、5人で隊列していくわけです。私、小柄ですから、本当に両サイドが大きくて、文字通り足が地に着いていないんですよ。自分自身の生活も、ちゃんとできない親掛かりなのに、世の中のことに関心持つのはいいけれども、そこのバランスは大事だなと後から思いました。ですから、やっぱり学生の本分は勉強で、社会に政治に関心をもつことはいいことだけど、やっぱり勉強は勉強できっちりやらないといけないなというふうには今、思ってます」
松原「その通りだと思います。昔の人は、もちろん風雲の志を立てて、心の中に持ってたと思いますけど、まずきちんと勉強するってことから始まったと思いますね。昔は、勉強することさえなかなか大変だったと思います。最近は蛍雪って言葉を知らない人が多いと思いますけど、ご存知のとおり、昔の人は貧しいから、もちろん電気もありませんので、夏は蛍の光で、冬は雪灯りで、その中で勉強した。身を立てるということでした。やっぱり、若いときはきちんと勉強するということがその人のためでもあり、社会のためでもあると思うんですよね。そういうことが最近はちょっと失われている感じで、ちょっと残念だなって思いますね」
小村「社会の制度が整って、東京もビルが建って、建物が建って、若者の可能性って、結局、何だろうって。何が勝利者かって、公務員になって安定した生活が勝利者だっていうみたいな思考があるんですよね。戦後のあの焼け跡の中からの時代には、これからのいろんな可能性があった。『人類の将来は我が双肩にあり』みたいなことを思ってた当時の若者と、ちょっとこう時代が変わってきてますね。それが良いのかどうなのか。足が地に着いたといえば着いたんだろうし、夢がなくなったといえばなくなったのかもしれない」
松原「夢がないですね。夢がないということはですね、大学受験そのものが目的になっちゃってる。それはもちろん、まずね、まず受からなくちゃいけないとは思うんです。それから始まるわけですけども。それが叶えられたらあとはもう、放心状態になってね」
小村「それ、聞きます」
松原「東大生の中にも、東大入ったら、もうそれで終わり。あとはもうぐじゃぐじゃって。多いですね」
小村「そうなんですよ。私も知人が東大の法学部なんですけど。司法試験目指してたんですね、弁護士になろうと思って。『僕、司法試験受かりたくないんです』って言うんですよ。『なんでですか』って聞くと、『司法試験受かったら目標がなくなっちゃいますもん』って言ったんですよ。なんかなあ、って思いましたけどね。受験は人生の大切な通過点だと思うんです。けども到達点ではないですよね」
松原「到達点ではない、うんうん。だから、『大学受かった、何やるか』についてのイメージとか楽しみってのがあんまり、ないんですね。昔は、何になろうっていうよりは、漠然とでもいいから社会が開かれてる感じが、明るく開いている感じがしたね。今は、社会に出ても何していいかわからない。大学に入ること自体が目的で。それだったら、何だろうって。それはちょっと可哀想というか、気の毒だなと思うんですよね」
小村「先生も、長く東大で教えられて、あるいはそれ以外の大学で教えられて、学生の気質は大分変わってきていますか?」
松原「変わってきてますね。やっぱりあの頃は、風雲の志とかね、何かやってやろうっていうか、何か非常に、ある種の乱暴なまでの気質がありましたけど、最近の学生はきれいにコンパクトになっちゃって、まとまっちゃってますね。そういう人がこれから日本をやっていっていいのかなあと思ったりしますよね」
小村「寄らば大樹の影というか、ことなかれ主義というか、前例踏襲主義というか、公務員思考というか」
松原「だいぶ変わってきてますね」
小村「人生、何でもそうなんですけど、受験でも目標を設定せい!と。設定してそれに向かえと。うまくいきゃそれで良し、だめだったらだめで、そこで考えれば良い。うまくいったら成功という経験が儲かるし、失敗したら、これやったらいかんという経験が儲かるわけですよ。何もせんと一番損なわけですよ。それを今の若者に強く言いたいと私は思うんですよ。本にも書きましたけど、私、大学を出て、弁護士になりたくて、14回失敗し続けたんですけど。最後3年間は月々20万、1年で240万、2年で480万、3年で720万。行き先のないタクシーに乗った気持ちでした。でも、それがかえって良かったんですよ。社会に出たとき、36歳、無職、借金720万・利息付き。でもそれがあったから、返していかなきゃって。次の人生なんとかしなきゃ、子どもは泣いてますし。それが良かった。やっぱり若者には、受験でも何でもそうですけども、目標を設定してぶつかってみろって、これを一番私は言いたいんですよね」
松原「そうですね」
小村「先生、たくさんの生徒を教えてきたと思うんですけども、いろんな著名な、あるいは著名ではないけれども頑張ったって人いますでしょう」
松原「それはいますね。数は1,200、1,300人いたもんですから、毎年。統計学ですから社会に出てから役に立つと思い込んでやる人が多かったですけど、1,200名ってのは、授業はとても成り立たないので、2つのクラスに割って大教室で、やったんですね、600、600くらい。600って言っても、600全部出てきませんけど。皆さん、その意味できちんと統計学をされました。1,200名くらい毎年教えてますと、5年後、10年後、15年後に企業へ行くと、『私の講義を取りました』っていう人が必ず一人か二人、いるんですよ。財務省にも大手の企業にも。『どうだった?』てきくと、『忘れちゃった』って言う人もいるけど、やっぱり若いころにそういう統計の勉強をしといて良かったんじゃないかなと。統計学はですね、大学を出てから使いますけども、きちんとした勉強は大学にいないと、なかなか落ち着いて勉強しきれないですからね。私は学生に、『とにかく統計学は1年のうちにやっておきなさい』と言ってるんですよね。皆さん、そのつもりで、よくやられたと思いますね」
小村「ものすごく大事な学問の一つだと思うんですね」
松原「今もね、だんだんとそういう風になってきましたからね。最強力って言っていいかどうかはわかりませんが、そんなことですよね」
小村「先生の印象に残る教え子さんとか、おそらく新聞に名前のでる官僚さんとか、大企業に行った人とかいっぱいいるんじゃないですか? ゼミの出身の方とか」
松原「そうですね。東京大学の場合、ゼミってのはありませんから。○○先生の教室に入るっていうか、実験室に入るっていうか、科研に入るってことはありますけど、文科系は特にゼミ制度ってのはありませんね。何か、放し飼いみたいな感じです」
小村「放っておいたら勉強するって感じですか?」
松原「そうですね。東大生ってのは要領がいいんですよ。試験対策委員ってのがいましてね、『あの先生は必ずここが出る』とかって言いましてね。ひとりが勉強しといて、ノートを作っておいて、それを皆に売ったりしてるんですよ。試験対策プリントってありましてね、代々継承されてきているものが。50頁、100頁くらいあるんですよ。それを、代々伝えていくとか、友だちに融通したりするんですよ、100円くらいからある。先生が見てね、『僕が書くよりうまくできてる』って。それで要領がいいんですよ」
小村「大学受験もそうやって乗り越えてきた部分があるのかもしれないですね」
松原「そうですね、東大生の場合、受験ってのが、楽しいんだと思います。ゲーム感覚なんですよ。試験試験試験でくるんですよ。試験が楽しいって感じ。私は試験が楽しいってまではいきませんけど」
小村「先生は苦しいけど楽しいっておっしゃいました」
松原「それは苦しいですよ、だって、私が一番不得意だったの、数学なんですよ。好きだけど、苦しい。だけどね、好きだったら苦しくたっていいんじゃないかなって思うんですよね。だから東大生の場合は特に、ものすごく天才的な人は、多分いるんだと思いますけど。東大生ってのは、まんべんなくオールラウンドプレイヤーであることを要求されるんです。東大の場合、オールラウンドプレイヤーだと入るんですよ。一つだけ突出してると、やっぱり入りにくいんです。芸術的感覚だけ優れてるって人は東京大学に入ってうまく行くかっていうと、またそれは。だから、まんべんなく、一科目くらい不得意なものがあってもいいけど、まんべんなくできれば、それほど頭が良くなくても、きちんと勉強すれば、大体昔だったら、一浪か二浪ぐらいで入れましたね。私の場合、一浪でしたけど。大体の科目が好きでした。一番苦手だったのは古文。私は苦手なものはしょうがないので、丸暗記しました。変な言い方しますけどね、試験の日にできれば良いので、試験の時に最高のところにもっていけばいいんでしょ。あとは忘れてもいいけど。とにかく試験に受かんなくちゃいけないんですからね。だからね、『記憶はいけない』とかね、そういうことよく言われてますけどね、覚えられちゃうんでしたら、覚えた方が良いですよ」
小村「先生のお話をうかがっていて、東大に入るってのは、私たちは大変なことだと思うのですが、ある面、まんべんなくオーソドックスな勉強を穴を作らずにやっておけば、決して不可能ではないということでしょうか」
松原「東大に入るってのはもちろん簡単ではありませんけど、言われてるほど難しいわけではないですね。大体まんべんなくオールラウンドプレイヤーで、努力型で、こつこつして、昔だったら一浪か二浪ぐらいすれば、入れる。今はちょっとなかなか違うと思いますけどね。問題も非常に難しくなってますからね。今の受験生は大変だと思いますよ。問題はどんどんどんどん難しくなっていますから」
小村「試験対策委員会でも対応できない問題が出るわけですね。あの思うんですけど、昔よくいわれたのは、京都大学出身の理系のノーベル賞受賞者が多かったということ。青色発光ダイオードっていうんですか、あの人は徳島大学でしたかね。そういう研究開発とは違った、無難に、でも、かなりこつこつと、いろいろな問題をこなして、穴を作らないってのが東大に入りやすいってことでしょうか?」
松原「東京大学ってのは明治以来の官僚養成大学で、まんべんなくきちんと問題を解決する。その問題も大体がみんなでがんばれば解けるような問題が多いわけですよ。まんべんなく問題が解けるような人を養成するというわけで、特別な才能を育てるなんていうことではもともとないんです。官僚養成大学ですからね。京都大学の場合はそういう感じではないですから。やっぱり、独特の味があるとか独特の才能があるとか、これが好きだとか言う人はね、どんどん伸びて、ノーベル賞たくさんもらうけど、東大の人ってのはそういうタイプではない。役割が違うんだと思います。だから東京大学を出てもそれほど面白い人生であるとは限らない。自分で人生は作らないと。だから、東大は入ることが目的って人は、入っちゃったら、苦しいと思いますよ。半分くらいは、東大には、入ることだけが目的の人」
小村「そうですか、そうはいいいましてもね、東大ってのは、受験生の憧れの大学です。その東大に向けて、あるいは東大以外の大学でもいいんですけども、若者に、こうあってほしい、受験に関してでも結構ですし、それ以外でも結構です。先生の思ってられることを教えていただきたい」
松原「やっぱり自分自身を信じて、あくまで自分を信じてやってほしい。ちょっと逆説的なことを言いますけど、試験なんだから、受からなくちゃいけないわけですよ。ただ、受かることは、一つのプロセスの途中であって、人生は長いわけで」
小村「到達点ではないってこと」
松原「到達点ではない。受かることは重要ですよ、とにかく受からなくちゃいけないんですけど。しかし、たかが試験なんですよ。そのバランスがね、心の持ち方がね、結構重要だと思うんです。でも若いからね、そんな矛盾はね、あっても若さで乗り切っちゃえばいいんですよ。そんなことで、受験生は自分自身を信じて欲しいと。私なんかもね、別に東大受けろって言われたから受けた訳じゃなくて、ま、受けてみようかな、何となく受けてみようかなって。ふわっと行っちゃって、一回落っこちゃって、それであとは、自分自身でやりました」
小村「浪人されたときに予備校は行かれましたか?」
松原「1回だけ行きました。あの頃は宅浪というのはありました。東京の場合は自宅で浪人することもできたもんですから」
小村「今もごく例外的にはあります」
松原「あの頃は、駿台と代ゼミでしたね。駿台は皆さんよく、『東大に絶対入るんだって』行ってましたけどね、駿台入るのも大変だったんじゃないですか?」
小村「国立二期校に受かって駿台の入試に落ちたって聞いたことあります。駿台は入試がありましたもので」
松原「そうですね。その頃は代ゼミってのは割とイージーだったんです。代ゼミの夏期講習は一度行きました」
小村「ということは、先生は予備校は継続しては通っておられない」
松原「一回も行ってない。ただ、あの頃は予備校に行かないと情報がわからないので、夏期だけの予備校ってありましたよね。あれはその所属じゃない人がいくわけでしょ」
小村「もちろん本科生が行っても良いと思いますよ。でも、夏期講習だけの受講生を募るということもあったはずだし、先生がそうだったので、あったんですね、つまり、先生は自分で勉強したわけですね」
松原「そうだね。それで私、ビックリしたことが一つあるんですけどね。駿台の夏期講習に行ったんですよ。おっしゃる通り、200人か300人くらいの大教室で、ぎっしり。それで、名講師がすばらしい講義するんですよ。なるほどって。ところが、『何かわからない人』って言うので、『はい』って手を挙げたの、一人。『そこが、こうわからないんです』って。そしたらその講師の答えが、『それは、きみが頭が悪いからわかんないんだよ』って。すごい自信ですよね。その先生。手を挙げる方も偉いけどね、先生はね、『それはきみが頭が悪いからわかんないんだよ』って、一発なんですよね。そういうことを言っていいのかどうかって、今でもね、あれ、手を挙げてああいう答えをされた人って、どうしてるかなって。でも、大変勇気がある。でもね、今はそういう時代じゃないですよ。本に書いてあるように、多数の人間がいた場合はわからない人はおいていかれると。その頃は一対一とかね、そんなことはとんでもない考え方でしたね。できなかったです。あったんでしょうかね、あのころ。一対一予備校ってのは」
小村「昔のことはよくわかりませんが、今は個別指導の予備校はたくさんあります」
松原「あの頃は個別指導は家庭教師しかない。予備校ってのは、全員が多人数です。ぎちぎちです。レベルは高かったですね。行って良かったと思いますけどね、大体こういうものかなと。刺激がありました。でも、予備校に行かなかったら私は入れないとは思わなかったんです。自分一人でやるよってね。ラジオ講座やってね。あそこであんなこと言われた人って、どうしてるかなって。せっかくね、質問してんだから、答えてやっても良いのにね。そういう答えですからね。それは一番の思い出です。とにかく、僕は予備校には行かないで、自分でやりました。でも、自分でペースを作るのは大変ですね」
小村「一言で言うと、『自分を信じて、自分のペースで、全力で頑張れ』ってこういうふうに理解していいでしょうか?」
松原「何もかも自分のペースで、自分を信じて。この日はこれをやってと計画を作って。特に単語集、旺文社の赤尾さんの豆単、この日はここからここまでと線をひきながら、自分でペースを作ってやりましたね。その意味じゃ充実感はありましたね。苦しいけど楽しかったと。だから、努力してうまくいくっていう成功体験ってのは、予備校では努力して、それで目指す目的を達するってのは、人生のあらゆる成功の一つのタイプ、原形ですよね。そいうものを繰り返せばいいんです。だから非常に受験って重要だと思いますよ」
小村「ご経歴から、私たちの知らないいろんなことを教えてくださるのかと思ったのですが、ある面オーソドックスで。自分を信じて、計画を立てて、それを一つ一つ乗り越えて行くってのが、一番の受験の力をつけるコツと理解してよろしいでしょうか?」
松原「そうですね。でも、あんまり悲壮感はなかったですね。少しずつこうやって行けばいいと」
小村「だから、メンタルも大事ってことでしょうね。優秀な学生さんで、割と悲壮感持った人いますからね」
松原「悲壮感を持つと苦しいですよね。その場合は、たかが受験なんだと、万一落ちたとしても、自分の人生が失われるわけじゃない。翌年もあるからね。それは、やっぱり軽く考えた方がいいと思いますよ。その軽さと重さってののバランスがあるんだと思うんですけど、わかってるときはそれは乗り切れるんですよ。そんなことはね」
小村「若さと情熱と体力と気力でね」
松原「そうですね」
小村「一言でいうと、『自然体で自分を信じて計画を立ててがんばれ』と、こういうことですよね」
松原「そういうことです」
小村「わかりました。最後に、受験生に向けて送りたい言葉を」
松原「そうですね、今言いましたように、自分を信じて、皆さんの素晴らしい合格体験記を知りたいと思います」

本対談動画は『多磨高等予備校』のホームページで!➡https://tama-yobi.com

スポット名

多磨高等予備校

住所

多摩市愛宕4-17-11-2F(Google マップで開く

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*時間・定休日が掲載内容と異なる場合がございます。ご利用の際は事前に店舗にご確認ください。

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