『もしもし』長谷川豊子の生きるということ
その11「創刊40年を前に」
その11
「創刊40年を前に」
「人生に起きたことには必ず意味がある」我が恩師の言葉です。
私はずっと編集の仕事をしてきましたが、まさか自分が発行者になるとは思っていませんでした。
多摩ニュータウンに引っ越してきて、新しい人との出会いや新しいまちが作られていくことに胸躍らせる中、孤立する人がいる事実に直面。
「よし、人と人をつなぐミニコミ紙を出そう」と決めました。
資金も人脈もないけれど、編集者としての経験はある。
夜間高校入学時、学校に相談して始めた仕事でしたが、このためだったのだと。
『もしもし』創刊以来39年間で出会った方は何人になるでしょう?
今でもお名前をあげるとお顔が浮かびます。
あの時、あんな話をした。心温まるエピソードを聞かせていただいた。
ときに私が至らぬばかりにお叱りの言葉もいただきました。
けれどどんなときでも、「誠実」の二文字を心に刻んで努めてきました。
このまちには『もしもし』と同じもしくはそれ以上の年月にわたって営み続けているお店や企業がいくつもあります。
その方々に共通していることは、オーナーとお客さまがしっかりつながっているということ。
「おいしかったよ」「ありがとうございます、またいらしてください」と交わすひと言。
社会人になっても、「先生!」と元生徒さんが訪れる学習塾。
長く応援させていただけていることは喜びです。
創刊40年を迎える今、『もしもし』が多摩ニュータウンで発行できているその意味を改めて考えていきたいと思います。
PROFILE
長谷川豊子(はせがわとよこ):
『有限会社もしもし』専務取締役。1985年9月、『もしもし』の前身である『奥さまもしもし新聞』を一人で発行。以来第一線で、編集者として取材・執筆・広告営業にと走り続けてきた。
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