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スペイン紀行17 「束の間の旅愁」(バレンシアその2)

モリテツのスペイン紀行17
「束の間の旅愁」(バレンシアその2)

旅をしていると急にもの寂しくなることがある。楽しい語らいの後や新たな土地に旅立つ時、着いた時、そんな思いに駆られる。クレマンさんはどうしたのか。昨日から会っていない。
もっとも旅は本来、孤独なものだ。旅人はそれを求めて歩くさまよい人にすぎない。そんな時、ふと恋しくなるのが日本料理だ。ただし、世界どこにでも和食レストランはあるけれど、メニューを見た途端、高くて気が引けてしまう。安いと思うと、だいたい、中国、韓国人経営の日本料理店だ。
その代わりではないが、常に持ち歩くのが醤油。大辛派なのでタバスコとワサビも必携。スパゲティじゃない麺類と寿司は周期的に食べないと落ち着かない。けど、もりそばとソーメンはないんだよなあ……、などと考えながら自転車を漕いでいる。近くの自転車屋で乗り心地がいいヤツを借りた。1日5ユーロ。
ノルド駅に着いた。欧州の鉄道駅は見ごたえがある。広くゆったりしたうえ、装飾が見事。自転車を歩道の鎖に停めてのぞいてみた。駅構内はさほど混んでない。ここにもありました。天井と壁面に素晴らしい装飾画。
とりあえず向かう先は駅近くの中華街。運よくうまい麺にありつけたら……。目当ての中華料理店「MIN DOU」は駅から2番目のペライ通りにあった。開店前。1時間以上待たなければならない。
カテドラル(バレンシア大聖堂)に行ってみた。ここだけはパスするわけにはいかない。あのレオナルド・ダ・ヴィンチの絵で有名な「最後の晩餐」で使われた聖杯が保存されているという。果たして本当なのか? ただしバチカンも認めているとか。7ユーロを払って入場。ここは世界中のキリスト教徒が訪ねてくるのだろう。
礼拝堂の黄金色に輝くランプの中にそれはあった。イエスの弟子ペトロがピレネー山脈に難を逃れ、スペイン内を転々としてバレンシアに持ち込んだと伝えられる。半球状(直径9㌢、高さ17㌢)。暗赤色のメノウ製。紀元前4世紀から1世紀にエジプトもしくはパレスチナで作られたとされ、時代的に適合するという。
レイナ広場から大聖堂の鐘楼ミゲレテの塔も見える。高さ50.8㍍。207階段登ると市内を見晴らせるが、パス。
「MIN DOU」に戻った。まだ客は少ない。海外で食する中華料理には慎重になる。初めて中国・上海に渡った時、初日から3日間腹下しが止まらなかった。料理の油が合わなかったのだ。中国版「正露丸」の「黄連素片」で即、治ったけれど。今もこれは持参している。油濃いスープの汤(湯)麺よりさっぱり系の炒面(焼きそば)にした。ラーメンといやあ、シルクロード・蘭州の牛肉麺はうまかったなあ、などと思いだしながら、まあまあの味をたのしんだ。
表に出ると、向かいのスーパーから買い物袋を下げた日本人女性が出てきた。
「すみません。あそこに醤油、あります?」と尋ねると、「日本の調味料、何でもあるわよ」とおっしゃる。女性はバルセロナ在住だとか。お付き合いしているスペイン人がここに住んでおり、「350㌔の遠距離恋愛なのよと」あけっぴろげに笑った。30代なかば。なかなかの美形にしてはきはきしている。
留学先のニューヨークから金融関係の仕事で転勤、マドリードに移って知り合ったとか。彼氏はIT関係で職場が違うのだという。一昔前に比べると、こうして海外で単身で働く日本人女性が急速に増えてたくましく感じる。
「日本語は37日ぶり。スカッとするわ」
確かに。旅先の日本語は格別なのだ。「お元気で」と別れた。立ち話にしては随分突っ込んだ話を聞かせてもらった。これも異国ならでは。
中華スーパー「遠東行」でキッコーマン醬油を仕入れて、また自転車にまたがった。宿に帰ると、ケイル君と美帆嬢がチェックインしていた。ハグは苦手だが、とりあえず……。
すると、今度はクレマンさんがニコニコしながら入ってきて、親指を立てた右手をグイグイ。一体、何があったのだ?
「旅は孤独」などと旅愁に浸ったのはほんの束の間でありました。

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