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『もしもし』長谷川豊子の 生きるということ
 その3「子育ては自分育て」

その3「子育ては自分育て」

昭和60年9月1日に創刊号を発行してからというもの、日々の生活は激変しました。私は3人の子持ちで、当時子どもは小5・小3・小1。同居の母に助けられつつ、朝の送り出しに帰宅後の夕飯の仕度や洗濯等々、気づけば瞬く間に夜の9時10時でした。やり残した仕事はここから再スタートして、一段落がつくのは白々と夜が明ける頃です。

そこで仕事は朝の9時から夕方の5時までと、自分でルールを作りました。この時間帯だけは脇目もふらず仕事モード一色です。おのずと仕事以外のことは考えません。

創刊から1年目の9月1日、防災の日でした。2学期初日で、毎年必ず昼前に子どもの引き取り訓練があります。にもかかわらず、気づいたのは午後5時。携帯電話のない時代、あわてて学校に向かうと子ども達は校長室に。ドアを開けると、3人は神妙な態度でソファにちょこんと並んで座っていました。

子ども達に私の子育ての感想を聞いたことはありません。それでも今、『もしもし』のスタッフとして発行を支えてくれています。

仕事も子育てもがむしゃらでした。それを言い訳にして、自分を正当化することはできません。未熟な親でした。反省も後悔もたくさんあります。けれど私が子ども達に言える言葉は、「ごめんね」ではなく「ありがとう」。

子育ての悩みも仕事を続けることへの迷いも多々あったけれど、それが私という人間の幅を広げ、母であり一編集者である私を育ててくれたと思っています。

PROFILE

長谷川豊子(はせがわとよこ):『有限会社もしもし』専務取締役。1985年9月、『もしもし』の前身である『奥さまもしもし新聞』を一人で発行。以来第一線で、編集者として取材・執筆・広告営業にと走り続けてきた。

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