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『もしもし』長谷川豊子の 生きるということ
 その6「夢」

その6「夢」

私は団塊世代の人間です。今年75歳、後期高齢者の仲間入りをしました。体調不良から、38年間にわたった『もしもし』の現場から退いたとき、実は不甲斐ない自分を責めてばかり。思うように体も動かず、再起を誓う側から心が萎える日々でした。でも週1回、デイサービスに通うようになって、思わぬ出会いの輪が広がりました。

Tさんご夫妻は、ご主人が60歳の定年を機に社交ダンスをスタート。現在は講師も務める腕前に。片や奥様は毎朝ラジオ体操に参加して、ご夫婦ともに元気はつらつ。Iさんは足が思うように動かない状況ながらも、いつも笑顔で周りを盛り上げてくださる。先だっては私を待ちかねたように、「あなたにこの本を読んで欲しいと思って」と坂本龍一さんの新刊『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を手渡してくださった。皆さんがいまを謳歌されている。

仏教では「未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ」と言います。私の座右の銘なのに、病気で弱気になって、すっかり忘れていました。人生100年時代。「四十、五十は洟垂れ小僧。六十、七十は働き盛り」と言ったのは、NHK大河ドラマの主人公になった渋沢栄一翁。もう75歳ではなくて、私はまだ75歳。

現役時代に目指したのは、新聞が読者の元気の源になること。なのに私ったら、元気を分けていただくばかり。そうだ、次なる夢は『もしもしシニア版』の創刊だった。多摩地区を、全国一のはつらつ高齢者で溢れる街を目指すんだった。

PROFILE

長谷川豊子(はせがわとよこ):
『有限会社もしもし』専務取締役。1985年9月、『もしもし』の前身である『奥さまもしもし新聞』を一人で発行。以来第一線で、編集者として取材・執筆・広告営業にと走り続けてきた。

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