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『もしもし』長谷川豊子の生きるということ
 その12「亡き後を生きる」

その12
「亡き後を生きる」

8/2号で『もしもし』へのご支援のお願いを掲載しました。多くの方に温かい応援メッセージをいただき、スタッフ一同感謝の日々。

そんな中、「30数年前に夫を『もしもし』で紹介していただきました。嬉しくて、友人知人に見せたんですよ。その夫の33回忌を7月に終え、ポストに届いた『もしもし』を見て、ああ、これも縁だなと。応援させていただきます」とSさんからお電話。

1988年、「子どもに大人気の先生がいるので、ぜひ『もしもし』で取り上げて」と保護者からの連絡で取材したS先生。
21歳、プロボクサーのデビュー戦でKO負け。深い挫折感の中で「何か人の役に立つことをして生きたい」と決意。
何度も負けそうになっては立ち上がり、28歳で教師に。自身のその経験を通して「挫折に負けない人になれ」と生徒たちに伝え続けるその姿を紹介しました。

「遺された家族が守られていくこと。それが亡くなられた方が生を全うするということと教えていただきました。
そのことを証明するためにも私が頑張らなきゃと無我夢中。保育の現場で働いてきました」とSさん。
縁を大切にし、分け隔てなく皆に優しく声をかけ続けていたS先生。
「だからですね。彼の友人知人、そして私を取り巻く皆さんが、私たちを守ってくれました。現実は彼はいないけれど、常に横にいて、つながりを作ってくれたのだと」。

肉体は永遠ではないけれど、生きてきたという事実は生きている人が忘れない限り消えない。『もしもし』は一人ひとりの人生を伝え続けます。

PROFILE

長谷川豊子(はせがわとよこ):
『有限会社もしもし』専務取締役。1985年9月、『もしもし』の前身である『奥さまもしもし新聞』を一人で発行。以来第一線で、編集者として取材・執筆・広告営業にと走り続けてきた。


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