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モリテツのスペイン紀行24 「ガウディよりエミリア」(バルセロナその3)

こんな夕食なら捨てたものじゃない。前夜、3、4人の若者がキッチンで雑談しながら作り上げたディナーはプロはだしの出来栄え。トマト、ニンジン、レタス、オリーブ入りのサラダに加え、チキンソテーが美味かった。ベルギーの若者の28歳の誕生日を祝って特別に御馳走だとか。悪いから10ユーロをカンパした。

ベン君が言うバルセロナの見どころ入門編の一番手はサグラダ・ファミリア。ここからわずか500㍍。ここのゲストも毎日誰かしら行く。何百回となく聞かされた名所。どんな迫力なのか楽しみだ。

ベン君と話していたら「エミリアがすぐそばのビューティーサロンに行くって言ってたから案内してもらえば」と携帯で連絡をとってくれた。ロビーにエミリアはじめ4人の男女が集合。そぞろ歩いて出かけた。2本目のカスプ通りを右折、直進してマリナ通りからカタラネス大通りに突き当たると、ラ・モニュメンタル闘牛場に出た。そこでエミリアたちとはお別れ。「用を済ませたら一緒にランチはいかが?おいしい店があるの」と美女に誘われ、一も二もなくOK。

マリナ通りを直進したら、おお迫力あるあの見慣れた映像にぶつかった。近くに来ると、塔の頂上部にクレーンが何本も伸びて見た目はなんとも良くない。工事現場そのもの、魅力半減だ。運が悪いなと調べてみると、なんとまだ未完成なのだ。失礼しました。

建設が始まったのが1882年(明治15年)。内乱や財政危機で何度か挫折、1900年代半ばから軌道に乗り始め、設計者アントニオ・ガウディ(1852年~1926年)の没後100年に当たる2026年完成を目指しているという。

ガウディが最初に手掛けた「生誕のファサード」は世界遺産(2005年登録)。ガウディの死後は設計図もなく模型を頼りに続行とか。なんとも気が遠くなるほど気の長い話ではないか。参りました!

日本人ツアー客が一番多い。ガイドの「あれが受難のファサード」と聞いて「ハハーン」と分かったような反応。

ガウディ作品の特異性はわかっているつもりだ。ただ、どこがどう高評価されているのか芸術眼がない故、わからない。哀しきことである。

元々、ガウディは銅細工職人の子だったらしい。ピカソのような天才肌というべきなのかどうか。サグラダ・ファミリアも当初は別の設計者が手掛けていたが、内部対立で辞めてしまい、お鉢が回ってきて運が開けた。無名だったが、富豪のスポンサーがついて一躍脚光を浴びることに。

ただその生涯が幸せだったのかどうか。1926年6月7日、ミサに出かけ、眼鏡をかけ忘れていたため道路で躓き転倒、運悪く路面電車に轢かれ、その上浮浪者と間違われて手当てが遅れてしまい、73歳であっけなく世を去った。遺体はサグラダ・ファミリアに埋葬。女教師に一度恋しただけでずっと独り身。寂しい生涯のようにも映るが……。

エミリアとの約束の場所「ため息の橋」に向かった。賑やかなゴシック通りだ。「ため息など出ませんよ」と市内見物しながらぶらぶらと2㌔ほど歩いたか。迷った末にやっと見つけた。エミリアら2人は道端に座り込んで待機。遅れて彼女たちの方はため息か。ヴェネチア出身のエミリアの顔を見て思い出した。ため息の橋ならヴェネチアにもある。向こうは運河にかかった本物の橋だ。16世紀に作られた白大理石製。

「あっちの方が有名だね」と言うと、途端に顔をほころばせ、「私、あそこで何度も祈ったけれど、効果ないわ」。あちらの橋は恋の成就を叶えてくれることで若者に人気がある。

ここでも廊下のひと隅にかかるしゃれこうべに願い事をすると叶うという言い伝えがあるそうだが、なぜ骸骨なのか?

通りで土産物を買う彼女たちに付き合って、タパス専門カフェにランチに入った。カウンターに彩り鮮やかに飾られている品々はどれも美品。なかでも玉子に白クリームのタパスは最高。

内心「サグラダよりこっちの方がわかりやすいや」とオリーブを飲み込んだのである。

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