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モリテツのスペイン紀行37「祭りたけなわのブルゴスへ」(グラニョン~ブルゴス)

標高500㍍前後のこの一帯は「暁の名所」と聞いて、翌朝は目覚ましをかけて夜明け前に起きた。確かに! なんと幻想的な日の出だろう。世界各地で日の出の美しさを目にしてきたが、いつも思うのはこれが同じ太陽の成せる業なのかということ。それほどその美しさが土地によって異なる。

ブッシュさんには40㌔ほど先の、素朴な古木の十字架が立つ原野で降ろしてもらった。空気が気持ちよくて歩きたくなる。見事なひまわり畑に出合った。そしてこれは藁の芸術といえよう。農村風景のどこを切り取っても、ジャン=フランソワ・ミレー(「落穂拾い」などで知られる19世紀の仏画家)の世界だ。

サン・ファン・デ・オルテガという村まで歩き、そこからブルゴスを目指してバスで行くことにした。休憩したカフェで見慣れぬ色のセルベッサが。注文してみると、レモン味のビールではないか。一杯目を一気に飲んでおかわり。つまみのウズラとえびでこしらえたピンチョスの美味なこと。

バスに乗った。どこのお国も昼間はシニアの乗客ばかり。1時間弱でブルゴスに着いた。全長800㌔のCaminoには、サンティアゴ・デ・コンポステーラまで節目となる3都市がある。最初はパンプローナ。次がブルゴスで三番目がレオン。ブルゴスは行程3分の1を越え、終着まで500㌔を切り、巡礼者はひと安堵つける街だそうだ。

どこかでダニにでも刺されたか、腕がかゆくてたまらず、バスを降りるなり、薬局に飛び込んだ。塗り薬で手当てして表に出ると、サンタ・マリア・デ・ブルゴス大聖堂の威容が飛び込んできた。高さ88㍍の一対の聖堂が青空を突き刺している。

スペインのユネスコ世界遺産は36。ゴシック様式の大聖堂は1984年、真っ先に登録された。ちなみにサンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街はその翌年。巡礼路自体は1993年の登録だ。

それにしても人出が凄い。スペインらしくない。やっぱり大都会は違うのか、と調べてみたら、人口は18万人弱でスペイン37番目の中規模クラス。首都のマドリードでも300万人。日本のような過密都市は敬遠するお国柄だ。

なんとケイル君からメールが届いていた。歩きの途中、美帆嬢が足をくじいてブルゴスの病院で診察中とか。また再会が楽しみだ。

ブルゴスのアルベルゲ(巡礼宿)は大聖堂のすぐ裏手、超一等地にあった。鉄筋5階建て。ホテル並みのフロントで手続きを済ませると、エレベーターで客室へ。これで5ユーロ。受付で中年女性のオスピタレイロ(ボランティア)が朗らかに言った。

「あなたは幸運ね。ブルゴスは今日から1週間ぶっ続けでお祭りよ」

うーん。嬉しくない。はた迷惑だ。賑わいはそのせいか。夜中まで騒々しいに決まっている。スペイン人のお祭り好きは、日本人と肩を並べる。熱狂度でいえば、日本人の3倍は熱くなる。

よくぞ、あれだけ声を張り上げ、歌い踊って夢中になれるものか、とあきれてしまう。皮肉っていえば、仕事の時には見せたこともない表情に豹変するのだ。

ブルゴスは表情豊かな街だ。橋の際で80歳過ぎのおばあさんがアコーディオンを奏でていた。遠くから鼓笛隊のドラムの音が響いてきた。テナーサックスやトランペットの楽隊も姿を見せた。祭りのメイン・イベントは仮装行列。ロングスカートの中世の衣装を着た少女たちの列が続く。その手には赤や白のバラの花束。カテドラル前の祭壇に捧げるらしい。これでうるさくなければいいのだが、きっと子どもを寝かせつかせた後、〝狂宴〟ではなかろうか。

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