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モリテツのスペイン紀行32「ベレー帽元祖の地を訪ねて」(カンフランク~バスク)

ピレネー山脈を越えてフランスへ入ってしまった。環境NGOで山に詳しいケイル君の案内であっという間にフランス南部、バスクの拠点とされるバイヨンヌまで連れてこられた。もっともEU圏内は国境がないのだから国境移動した感覚は薄いけれど。

 あっという間の移動だった。まさかあの辺鄙で廃れたカンフランクからこんなに早くフランスの近代都市まで来れるとは……。ともかくカンフランク駅近くから国境越えのバスに乗車。これが寂れた駅とは真逆の近代高速道路。運転手に10ユーロ支払い、渓谷沿いの風景を楽しみながら1時間半、フランス側のオロロン・サント・マリーに到着。バスを乗り換えてポーの街に。ここから初めてBlaBlaCarなるものに乗った。

 誰でも自由に利用できる乗り合いタクシー。欧州では普通に普及しているらしい。Facebookのアカウントで登録してHP上から目的地と利用日を入力。現在地を示せば、一般のドライバーが有料で応じてくれ、料金もその場で表示される。

 ここは地元フランスのエミリア嬢が自身のGmailアカウントをスマホに打ち込むと、ササッとリストが出て、あとは一人9ユーロを負担。1時間半後には114㌔先のバイヨンヌ駅に到着。時計台が素敵な駅舎はどこか奥床しく気品を漂わせている。

 なぜバイヨンヌかといえば、ケイル君曰く、
「バスクって地は謎の魅力に溢れているんだ。バスク抜きにピレネーは語れないよ」

 バスクとはフランス国境をまたいでピレネー山麓圏に発展した異色の国(地域)である。バイヨンヌはそのフランス側の中心都市。どこが異色かといえば、まずバスク語は欧州の言語圏に属さず、民族も言語も起源が謎とされるというのだ。さらに血液型。バスク人はO型が過半数、残りはA型。バスク語は世界最難関の言語といわれ、中世期のフランスではバスク語を習得させる刑罰があったとも。

 今もフランス側260万人、スペイン側230万人のバスク人が居住。著名なバスク人には、我が国にキリスト教をもたらした宣教師フランシスコ・ザビエルのほか、キューバの革命家チェ・ゲバラも。

スペイン側バスクの中心都市ビルバオのサッカーチーム「アスレティック・ビルバオ」はバスク人しか加入させない誇り高き一面も。

 といえば縁もゆかりもないように思えるが、実は、バスクは『ドラえもん』の藤子・F・不二雄、『鉄腕アトム』の手塚治虫、さらにはロダンやピカソが愛用したあのベレー帽発祥の地である。そんなわけでバスクの魅力をたっぷり堪能させてあげようと連れてきたらしい。

 宿はニーヴ川河畔に立つバスク・バイヨンヌ歴史博物館近くにとった。この街にはバスク国が繁栄した17世紀の建物が多く残存、博物館はバスク住宅の象徴という。

 翌朝、鉄道でサン・ジャン・ド・リュズという港町に行き、バスに乗り換えて20分。降りた所は山の中腹にある登山電車の発着駅コル・ド・サンティニャス。ラ・リューヌ山(905㍍)はピレネーの景勝地として名高く、バスク人がこよなく愛する。

 往復運賃19ユーロを支払って、屋根付きトロッコ電車にことこと揺られて30分。緑濃いピレネーの山々を望みながら童心に帰ったように楽しい。

 山頂はスペイン領。絶景である。サン・ジャン・ド・リュズの街並みが見下ろせ、大西洋の大海原も。足元の野っ腹には、ポニーの一種でバスク地方に生息するポトックがのんびり草を食んでいる。ポトックとはバスク語で「小さい馬」の意。

 山を下りてサン・ジャン・ド・リュズの港町へ。バスクの建物は際立った特徴がある。その一軒に入って海鮮盛りつけとバスク豚に唐辛子で味付けしたバスクサラダを肴にフランスワインで乾杯! 存分にバスクの夜を楽しんでほろ酔いでバイヨンヌへ戻った。

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