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モリテツのスペイン紀行38「一滴の果汁に救われて」(ブルゴス~テラディロス)

ブルゴスはなんと「スペインの美食の都」だとか。地元が勝手に名付けたのではない。ユネスコが2015年に選出。UCCN(ユネスコ創造都市ネットワーク)の食文化分野における栄誉で、日本では山形県鶴岡市、大分県臼杵市が該当。

近くのカフェで朝食の安菓子パンをかじる最中にそれを知ってなにやら情けない感じ。それにしても何が名物なのか? レストラン「OJEDA」が美食の象徴。その一品ブルゴス・モルシージャ。豚の腸詰に米や玉ねぎを練り込んだソーセージ。腸詰など小生には美食でも何でもない。ご遠慮申し上げる。もう一つの摩訶不思議。これだけの都市なのに空港ができたのが2008年。それまで軍用空港のみ。都市いじめじゃあるまいし。悪評ふんぷんのフランコ独裁政権の拠点だったせいか。

 宿に戻ると、ケイル君たちが出発の支度をしていた。今夜の宿は60㌔先のボアディージャ・デル・カミーノ。「美帆嬢の足も完治したので明日は貴重な体験にチャレンジだ。一緒にどう?」と誘われ、ふらふらとバスに同乗。

 30㌔先のオンタナスでバスを乗り換えた。小麦、葡萄畑を貫いて一本道が伸びる。巡礼者はまるでてんとう虫のごとき黒い点。バスを降りて宿に向かった。古木の門をくぐると、緑の芝生に前衛的な壁絵とスイミングプール。食後はワインで歓談。

 「明日はメセタ挑戦。油断しないで」とケイル君。メセタとはスペイン語のテーブル(Mesa)に由来。ブルゴス~レオン間200㌔の台地は、赤茶色の堆積層が広がる北メセタ高原。中でもカルサディージャ・デ・ラ・クエサからテラディロス間12㌔は渇きの道といわれる。卓向かいの米国人が「僕はもう4回だよ」と語りかけてきた。「僕も2回だ」とケイル君が応じて周囲は大笑い。巡礼者は朝、出がけ前に必ず用を足すが、出ない時もある。メセタにBARはない。周囲には誰もいない。男女共通のきちんとしたルールがあるとか。枝道の角にリュックを置く。「来ないで」というサインだ。

 夜中、ワインの飲みすぎで喉が乾いて目を覚まし、中庭に出てみた。銀河の美しさに目を見張った。子どもの頃に見た輪郭がはっきりした天の川。座りこんでいると、美帆嬢も出てきて、黙って星空を見つめた。鐘楼に直径1㍍はある鳥の巣。

 「あれはコウノトリね。幸を呼ぶそうだけど、夜中の姿は気味悪いわね」と美帆嬢。

 次の日、カルサディージャ・デ・ラ・クエサまでバスで行き、いよいよ歩き挑戦。荷物は宅配送りで手ぶらだ。「水飲み場もないから用意を」と言われ、500㍉㍑1本を腰に下げた。内心、たいしたことはない、となめた思いがある。見渡す限り民家や小屋の一軒もない。道はずれで休憩、水をひと飲みした拍子にボトルを倒し、半分以上こぼれた。それでも焦りはない。

 それからどのぐらい経ったか。最後の一滴が切れた。喉がひりひりしだした。気温40度。まさに乾きの道。国道は車1台通らない。車道の照り返しがきつい。視線の先は蜃気楼。たまらず石のベンチにふらふらと倒れこんだ。その時、仏リールから来たというシニアのご夫婦が隣に腰掛け、ほほ笑んで挨拶してくれた。ランチタイム。目のやり場がない。すると、ご主人がトマト1個をくれた。かぶりついた。果汁をこの時ほど有難く感じたことはない。さらに奥さんが夏ミカンとヨーグルトを。涙が出るほどだ。心底、救われたと感じた。この先もセンダは続くのに……

 テラディロスのアルベルゲにやっとたどり着いた。パラソルが咲く芝生の庭でみんなが寛いでいる。賑やかな夕餉の卓。助けてくれたモラン夫妻に改めてお礼を申し上げた。かぼちゃのスープとデラックスなハンバーガーに胃袋が狂喜している。ここぞ、美食の都じゃないか。

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