スペイン紀行16 「栄華の誇り」(バレンシアその1)
世界旅歩きの醍醐味の一つは、市場巡りではなかろうか。人々の素顔に触れ、笑顔に満ちた場は幸せな気分にしてくれる。印象に残る市場がいくつもある。開発途上国の多くは青空もしくは巨大テントを張ってその下に無造作に生鮮食品を並べただけだが、イスタンブールやタシケントなど伝統ある都市ほど意匠が凝っている。
通常、Mercado(メルカド)と称する。マルケットと呼ぶ国も多い。その世界的ルーツがここ、バレンシアの「Mercado Central」だそうだ。生鮮食品市場として欧州最大。歴史は古い。
第一次世界大戦が始まった1914年(大正3年)着工。関東大震災で消失した日本橋魚市場が旧外国人居留地の海軍所有地を借りて築地市場に衣替えしたのは1935年(昭和10年)である。
宿で自転車を借りて早速向かった。バレンシアはさすがに街並みにも風情がある(写真1)。ここは地中海交易の中心都市として15世紀に黄金期を築いた。新大陸発見のコロンブスに出資したのもここの銀行家。絹の商品取引所ラ・ロンハ・デ・ラ・セダができて欧州中の商人が集まった。今、それは世界遺産(写真2)だ。一方、イベリア半島で初めてドイツから印刷機が持ち込まれ、文化・芸術も飛躍的に発展した。
その向かいにあるのがセントラル市場だ。表から見ると、まるで芸術ホール(写真3)か劇場のよう。壁から屋根、内装まで凝りに凝っている。建築を手がけたのはアントニ・ガウディの師匠の下で修業した二人の建築家。曲線や彫刻を多く取り入れ、色彩豊かに装飾したのが特徴。いわゆる「アール・ヌーヴォー」の傑作とも。
たかが市場になぜそんなに凝るのか。豪華絢爛たる大聖堂によって街の威厳、権威を見せつけたのと同じように、経済的繁栄と栄華の象徴として街を誇示したのかもしれない。
地中海の青、特産バレンシアオレンジの緑と黄色3色のタイルを多用、鉄の素材に淡いブルーなどのステンドグラス、きめ細かなモザイクをあしらった装飾天井が一番の自慢(写真4)。
中は凄く混雑していた。世界のメルカドの日本との違いは、卸・小売り業者相手ではなく最初から一般庶民を対象にしていること。日本もやっとその色合いが強まった。ここはルーツの地だけに世界中の観光客をかき集めている。
広さは8,160平方㍍。ちなみに東京ドームは13,000平方㍍。築地市場40,000平方㍍。店舗数は1,000超。築地は水産・青果合わせて仲卸業者697。それに場外市場の400店を合わせるとほぼ同規模。
この比較からすると、狭いエリアに店が窮屈そうにひしめいているように思えるが、通路は広く(写真5)、広場スペースやBarなども並んでそんな感じをまったく受けないあたりがさすがだ。
イベリコ豚(写真6)やオリーブオイルなど土産に買いたいものが目白押しだが、旅の途中でそれは叶わない。代わりにイワシのフライやオリーブオイル揚げの薄塩アーティチョークをつまみながらそぞろ見物した。
表に出て再び、自転車で街を走った。この装飾あふれた建物は銀行である。バンコ・デ・バレンシア(写真7)。1900年設立。赤レンガに大理石の組み合わせ、鉄格子は安全と保護のイメージ。現在はバルセロナに拠点を置く国内3位のCaixa・Bankに吸収された。裏路地(写真8)に行くほど雰囲気があって街巡りが飽きない。つい立ち止まって見とれるスポット(写真9)に頻繁にぶつかる。走り回ったようでも半径2㌔圏内。やっとリバーホステル(写真10)に着いた。
ただなんとも自転車の乗り心地が悪い。足が地面に届かず停まるたびに宙に浮く。足長西洋人向け。それで9ユーロ(24時間・1,100円)は高い。明日はまず自転車探しだ。
プロフィール
森哲志(もりてつし)
作家・ジャーナリスト。日本エッセイスト・クラブ会員。国内外をルポ、ノンフィクション・小説を発表。『もしもし』の「世界旅紀行」は、アフリカ、シルクロードなど10年間連載中。著書近刊に退位にちなんだ「天皇・美智子さま、祈りの三十年」(文藝春秋社・2019.4月刊)。月刊「文藝春秋」3月号に「天皇ご夫妻と東日本大震災」掲載。「団塊諸君一人旅は楽しいぞ」(朝日新聞出版刊)など著書多数。
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