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Tama Hito 62
大澤 利美子 さん
「いろいろな人と出会い、請われ、力を尽くし、今がある」

人に出会い、支えられ、活動が広がってきた

「自分から『やります!』と言ったことは一つもなく、『手伝ってくれない?』と声をかけられて断らずに始め、続けてきたんです。そうしたら、いつの間にかいろんな活動を掛け持ちしている状況になっていました」と大澤さん。

実際、現在は『NPO法人シーズネットワーク』、『NPO法人たすけあいの会ぽれぽれ』、『多摩市ファミリー・サポート・センター』、国営昭和記念公園内『こもれびの里』、そして『町田里山ベリー園』と八面六臂の大活躍。でも、「どの活動も楽しくて、それぞれでリフレッシュできる」とハツラツ笑顔で話します。

その原動力は〝人〟。

「人に恵まれてきました。尊敬できるいい人たちに囲まれて、請われるから、自分の持てる力を尽くして…と思います。ただ、この活動には、家族、特に夫の協力があるからこそと感謝しています」

子どもが幼い頃は、デザイン会社で働くご主人の帰宅は遅く、ほとんどワンオペ育児だったとか。それが、末っ子が6ヶ月半の時に突発性難聴を患った大澤さん。やむなく1ヶ月半の入院生活に突入せざるを得なくなりました。そうなると家庭のことはご主人が回さないとなりません。

「そこから大きく変わりました。やりだすと凝る人なので。今や、家事のルーティンは彼が主流で、本当にありがたい」

自分の身は自分で守る、防災啓発に力を注ぐ

そんな大澤さんが力を注いで活動しているのが、『シーズ』の子育て支援の一つ『赤ちゃんや幼児がいる家庭の防災啓発プロジェクトABo』。2009年からハンドブックの発行、親子防災体験講座やワークショップの開催などを続けてきました。その中での2011年3月11日。大澤さんは、防災体験プログラムの事例報告会で秋葉原にいました。

「地震発生後、防災の知識があった私と仲間は、最初にトイレを済ませ、歩ける靴と水、食料を購入。公衆電話用の硬貨を手に入れるために自動販売機を利用。そして、火災や津波の被害を恐れ、少しでも安全な所へと移動を続けました。そんな人混みの中で、ベビーカーの母親を押しのけて進む人、危機感を持たずに行動する人の姿をたくさん見ました」

そこで、大澤さんは防災の啓発活動の重要性を改めて強く感じました。

「いざという時に一番困るのは誰か、それは弱い立場の赤ちゃんだったりします。『防災、どうしよう』と思いながらも『怖いから』『なんとかなるんじゃないか』と目をふさぎがちな人が多いんです。でも、自分でできることはやって、自分の身を自分で守ることが大切だと思います。そのためのお手伝いをしたいです」

こどもまつりでの防災啓発の展示の様子

子育て広場で防災クイズを実施

『ABo』では、1月21日にオンラインで災害時のトイレについておしゃべりします。ただいま参加者募集中。参加の方には、非常用携帯トイレお試しセットをプレゼントします。

オンラインおしゃべり会
おうちで防災トーク 災害時のトイレ どうする?

「えっ!? 地震の後、トイレを使っちゃいけないの?」
「お風呂の水で流せば、家のトイレ、使えるよね?」
「非常用のトイレ、いろいろな種類があるけど、どれを買えばいいの?」
「使った後は、どうすればいいの?」
食料や飲料水の備蓄はやっているけれど、トイレのことまで準備ができていない方も多いです。
アボメンバーと、トイレについて一緒にお話ししませんか?

■1/21(土)10:00~11:00
■Zoomを利用したオンライン参加
■多摩市在住の方※多摩市地域防災計画等をベースにした情報をお伝えします
■先着10組※家族参加代表1名の申し込みでOK
■参加無料
■ABoのホームページから申し込みを こちらをクリック

大澤さんのオススメ防災グッズ

ソーラーランタン
太陽の光で充電。電池や電源不要です。我が家では、窓際に置きっ放しにしていて、普段から充電しています。折りたたみ式でコンパクト。場所もとりません、防水加工なので濡れても大丈夫。ビニール素材で軽くて、落としても壊れません。

停電時の緊急照明
普段はフットライトとして寝室のコンセントに刺しています。人の動きに合わせて自動で点灯・消灯。充電式なので、停電時はコンセントから外して、懐中電灯として長時間使えます。

非常用トイレ
上下水道が止まるとトイレが使えなくなります。広げて使います。避難先に個室があるとは限らないので、目隠し用のポンチョも用意するといいです。
トイレで気になるのが臭いです。使った後の消臭用のセットも用意しておくことを勧めます。

プロフィール

宮崎県都城市出身。美容師のお母様の背中を見て育つものの、「このまま家にいると、ずっといることになる。とにかく出よう」と、食物栄養科入学のため上京。栄養士の資格を取得するも、いまひとつ、栄養の仕事に就くことにためらいが。そして卒業後、「やっぱり美容師になりたい」と美容学校に進み美容師に。お母様の病気で、宮崎に戻る。そこで当時付き合っていたご主人が後を追って宮崎に。そして宮崎で結婚したものの、ご主人の仕事の関係で再び上京。以来、4人の子育てをしながら専業主婦として10年を過ごす。そんな中、「自分らしい働き方」を模索し、実現することを目的に発足した任意団体『Seeds』に誘われて携わる。そして2006年、『NPO法人シーズネットワーク』の立ち上げに関わることに。その後、『NPO法人たすけあいの会ぽれぽれ』、『多摩市ファミリー・サポート・センター』、国営昭和記念公園内『こもれびの里』、さらには『町田里山ベリー園』の活動にたずさわる。防災士として、『シーズ』の『赤ちゃんや幼児がいる家庭の防災啓発プロジェクトABo』を担当。多摩市在住32年。地域活動に邁進し続けている。

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