『もしもし』長谷川豊子の生きるということ
その9「一人を大切に」
その9
「一人を大切に」
私の初めての就職は出版社、18歳の時でした。
全国から届く社内報の原稿を編集する仕事で、それはそれは楽しく、編集という仕事の魅力にすっかり取り憑かれてしまいました。
けれど、私にはイラストレーターさんとのつながりはありませんでした。
そんな時、ある働く女性の集まりに参加して出会ったのが五来尚子さん。
柔らかで温かく、時にユーモラスなその絵のタッチに私は魅せられました。
〝いつかこの人と一緒に仕事ができたら〟と思い、その場で連絡先を交換。
40年以上前のことです。
それから数年後、偶然にも多摩市でばったり再会。
ちょうど『もしもし』を発行しようと動き始めた時でしたので、創刊号から全面的にイラストをお願いすることができるようになりました。
以来39年。
奇遇なことに、子ども同士が結婚したことで親戚にもなってしまいました。
先日、夫の三回忌で墓前に向かう車の中で、「本当に人の縁って不思議ね」と来し方を振り返りながら話を弾ませました。
この39年を知っている尚子さんとは本音でなんでも話すことができます。
『もしもし』は、創刊以来、出会った一人とのつながりを大切にしてきました。
広告を掲載してくださるお客さましかり、読者の皆さんしかり、そして、エリアスタッフさんも社内スタッフもです。
その中で新たな次の出会いが生まれ、輪を広げることができたのだと感謝しています。
この思いは、我が子はもとより『もしもし』のスタッフ皆に伝わっていると、私は自負しています。
PROFILE
長谷川豊子(はせがわとよこ):
『有限会社もしもし』専務取締役。1985年9月、『もしもし』の前身である『奥さまもしもし新聞』を一人で発行。以来第一線で、編集者として取材・執筆・広告営業にと走り続けてきた。
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