『もしもししんぶん』創刊40周年記念特別企画
特別対談
阿部多摩市長 × 『有限会社もしもし』代表 五来

『もしもし』の役割と今後への期待
五来 市長からお会いするたびに、「今回のこの記事良かったね」とお声かけいただき嬉しいです。
本日は多摩市長という立場ではなく、『もしもししんぶん』の一読者としてお話をお聞かせいただけますか。
阿部 私も随分長く読んでいますよ。
紙面の構成やレイアウトが変わってきたり、時代に合わせていろいろ取材されていますね。
しかも地域の活動などこのまちに住んでいる人たちの今の課題を的確に表している。
また、医療コラムも、多摩市が掲げる「健幸まちづくり」の「幸」の字を使っていて。
このまちで診療していらっしゃる先生方のいろいろな視点や季節に合った健康情報を、誰でもが知ることができる。
まちのために、私財を使ってそういった情報を提供いただいていることが本当にありがたいです。
◆孔雀がお出迎え!?
五来 市長と多摩市とのご縁は?
阿部 父が植物学者の牧野富太郎さんの最後の弟子で、その頃住んでいた小金井から関戸橋を越えて植物採集で訪れ、当時の農林省鳥獣実験場にもよく行きました。
60年以上前のことです。まだ桜ヶ丘の桜の木々も今ほど大きく育っていなかったので、関戸橋からはいつも聖蹟記念館がきれいに見えていました。
ニュータウン開発前の落合や豊ヶ丘などによく行っていました。
春先は田んぼやあぜ道にいろいろな種類のスミレが咲いていたり、雑木林の植生はまた違ってカタクリの花も咲いていました。
農薬は使わずに家畜の糞尿や稲わらなどの堆肥を使って作物を育てていた、開発前の多摩村の原風景をよく覚えています。
農林省鳥獣実験場から逃げ出した孔雀が、連光寺辺りで出迎えてくれたり、楽しい思い出です。
多摩市の市政施行30年の時に「多摩市の植物 上・下巻」が発刊されて、その最後の方に父の名前が記されているんです。
五来 昔からご縁があったのですね。
多摩市に住まいを移していらしたのはいつでしょうか?
阿部 結婚して、子どもが生まれて、環境の良いところで暮らしたいなと。
当時は千歳烏山に住んでいましたが、多摩川を渡り聖蹟桜ヶ丘を訪れたら、すごく気持ちが良い。
その頃の聖蹟桜ヶ丘は、昔はじゃり道だった駅前がコンクリートで舗装され、西友や映画館がありました。
私が知っていた原風景とは変わっていましたが、ずっと慣れ親しんでいたこの地に惹かれたのでしょうね、1990年に越してきました。
交通の利便性も魅力でした。朝、子どもを保育園に預けてそのままリムジンバスに乗って、羽田に向かったりもしました。
五来 共働きだったのですね。
阿部 はい、でも当時は男性はもちろん、女性の育児休業制度もない。
子育ては家庭で行うもので、子どもを預けて仕事など、まだまだという風潮でした。
◆子育てか、仕事か
五来 『もしもししんぶん』創刊当初は子育て世代の女性に向けた情報を発信していました。
女性の自立や社会での活躍を応援する記事が多かったです。
阿部 情報をいかに共有できるか、新しいまちでどうコミュニケーションをとっていくのか。
例え仕事を辞めざるを得ないとしても、仕事に変わる何かを見つけながら活動していきたいなど、思いのある女性が多く住んでいたのが、多摩ニュータウンだったのではないでしょうか。
子育てをしながら文庫活動や生協活動、合唱団など、多くの活動が始まっていった。
その中で『もしもししんぶん』は読者層を広げていったのですね。
五来 ありがとうございます。
『もしもししんぶん』は八王子市松が谷の小さな都営団地で始まりました。
私たち家族は、以前は中野区に住んでいてご近所は皆顔見知りでしたが、新しい団地は扉一つで閉ざされてしまう環境。
母は、主婦同士がつながれる場があれば、もっと豊かな生活ができるのでは、という思いから始めたそうです。
女性が生き生きと活躍できる社会がとても大切ですから、『もしもししんぶん』がそのお役に立てていましたら幸いです。
◆市長がYouTuber!?
五来 市長は今中学生だとしたら何をしたいですか?
阿部 私は公民館で「ここに泉あり」という市民オーケストラの発展を描いた映画を見たのですが、それをきっかけに中学生の頃8ミリ映画を作りたいなと思ったんです。
でも今のようにパソコンなどがない時代だったので、表現する手段として新聞をよく作っていました。
だから今、私が中学生なら、きっとYouTuberになって番組を作っているかな。
地球沸騰化で生態系や人間の暮らしがどう変化していくのか、調べて分析して、難しい話をやわらかく説明して、大人たちに警鐘を鳴らしたい。
そういうことをしていると思います、きっと。
◆10年後の多摩ニュータウン
五来 では10年後、どのようなまちに…とお考えですか?
阿部 世の中が大きく変わっていく中で、私たちが今は常識だと思っていることがガラッと変わるのが、10年後だと思います。
ただし、明るい未来だけを語るのは難しい。特に地球沸騰化、気候の問題については、台風が巨大化したり、線状降水帯や竜巻、災害級の猛暑などこれまで経験したことのないような自然環境の変化があるでしょうね。
また、あらゆる分野での担い手不足も深刻です。
だからやはりそれを見据えた未来への投資をしっかりすることが、持続可能なまちづくりにおいてとても重要だと感じています。
五来 まちにとって担い手は、とても重要な存在です。
サークルや地域活動、商店は、時を経て築き上げた方々の想いや事業・活動を継承し、新たな視点を加えて発展させていける〝人のつながり〟がとても重要です。
私たちがそのつながりを創出していく役割を担いたい、と常に考えています。
阿部 そういう時代だからこそ、活字メディアとデジタルメディアを併せ持つ『もしもししんぶん』という、大切な表現の場、自由な言論の場が重要です。
コミュニティーを育むことはもちろん、一緒に読んでいる仲間がいるということによって勇気づけられ、力づけられ、希望が持てる人もいるでしょう。
『もしもししんぶん』の役割が、これからさらに大きくなっていくと思います。よろしくお願いします。
五来 気を引き締めて頑張ります。本日はありがとうございます。
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