『もしもし』長谷川豊子の生きるということ
その32「語り継ぐということ」

その32
「語り継ぐということ」
▼戦後81年の夏、継承がテーマの文章を多く目にしました。これからの数年間で、自身の目で見て、耳で聞いて、当時の情景を記憶に残している方は、明らかに少なくなっていきます。何が起きたのか、何を思ったのかを、当事者として語っていただける方が減っていくという現実。人の命は永遠ではないのでどうしようもないことですが、何とか次の世代に伝えなければと、昨今の世情に触れるにつけ、思うのです。
▼台湾生まれの私の知人Uさんは、14歳で終戦を迎え日本へ帰国。妹は連れていくことができず、置いて逃げたと。そして引き揚げ船の衛生状態はひどいもので、乳飲み子は次々と死に、埋葬もできずに海へと投げ込まれたと言います。彼女はその様子を、自身の生きざまを綴った本の中で、書いています。読むたびに、こんなひどいことを繰り返させてはいけないと私は思うのです。
▼以前、自分の家族に戦争体験を語っていた方を取材したことがあります。その時、息子さんから「そんな辛い話は聞きたくない」と言われたと話していました。そのことも含めて『もしもししんぶん』で紹介したら、近所の若いお母さん達から「読みました」と声をかけられ、ご自身の戦争体験を聞いてもらい、語り合う時間が持てたと。そして、その後その方は、戦争の語り部として、地域で話す機会を持てるようになったと。
▼これからも『もしもししんぶん』では、語り継ぐべき話を紹介し、つなげていきます。語ってこなかった言葉があるなら、ぜひ届けてください。
PROFILE
長谷川豊子(はせがわとよこ):
『有限会社もしもし』専務取締役。
1985年9月、『もしもし』の前身である『奥さまもしもし新聞』を一人で発行。
以来第一線で、編集者として取材・執筆・広告営業にと走り続けてきた。

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