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モリテツのキューバ・ 南米紀行18「望郷の人③」 (ハバナその18)

支倉常長は、慶長遣欧使節団副使として、太平洋を渡ってメキシコからキューバを経てスペインへ。元和元年(1615年)9月12日にはイタリアでローマ教皇パウルス五世に謁見することができた。
そこで市議会から市民権と貴族の位を認めた「ローマ市公民権証書」を授けられた。有色人種として唯一無二のローマ貴族。洗礼も受けてフランシスコ派カトリック教徒に。洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコ・ファセクラ。しかし、謁見で教皇との交渉はうまくいかず、貿易・通商は断念して失意のまま1620年帰国した。
当時の日本ではキリスト教は異教として禁じられていたため、厳しい待遇下での生活を強いられ、帰国後わずか2年で亡くなってしまった。
常長らが持ち帰った「慶長遣欧使節関係資料」は今も仙台市博物館に所蔵されており、2001年に国宝に指定されたという。一方でバチカンの人類博物館には、パウルス五世に拝謁した際、常長が鼻をかんだ懐紙が展示されているとか。西洋では手鼻かハンカチで鼻をかんでいたので、懐紙は珍しがられたとか。随分もの好きな印象でもある。
ただ支倉がキューバで何か具体的な功績があったかというと、特に見当たらない。じゃあ、なぜ銅像まで建てられたのか?
この像は慶長遣欧使節資料が国宝に指定された同じ年に仙台育英学園によって寄贈されたのだという。もちかけたのはキューバ側。
「キューバを訪れた初めての日本人にして、彼ほど礼儀正しく誠実な人柄の人はめったにいない。地元では異国人の中で最も尊敬されてきた人なのでぜひ……」という申し出だったという。日本で哀れな最期を遂げた支倉だったが、神はよく人を見るものだ。


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