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モリテツのスペイン紀行33「ピレネーの恐ろしさを知り…」(サン・ジャン・ピエ・ド・ポー)

バスク探訪のラストは、ピレネーの山歩きで締めくくることになった。翌朝、宿を出ると、バイヨンヌ駅前から再びバスに。珍しいことにバスは満員。乗客の目的地はすべて同じ。ここから41㌔離れたサン・ジャン・ピエ・ド・ポーである。

ピレネー山麓のこの宿場町は、世界中のキリスト教徒が訪れるあの有名なサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂巡礼の出発地。巡礼の道(カミーノ)は800㌔。敬虔な教徒であるケイル君とエミリア嬢は1日だけでも歩いてみようというのだ。1日なら付き合うのも悪くはない。

90分後、閑散とした村でバスを降りたが、旧市街の巡礼事務所周辺だけは活気がある。書類に住所や氏名を書き、2ユーロ支払えば、クレデンシャルなる手帳をもらえる。巡礼者(Peregrino=ペルグリーノ)の証明書。記念にもらった。ホタテ貝を描いた白表紙に「Credencial del Peregrino」とある。先々の教会や巡礼宿でスタンプを押してもらうそうで四国遍路でいう納経帳か。

その夜は粗末なベッドの宿に泊まった。翌朝5時、暗闇の中、出発。荷物は今日の目的地まで宅送済み。石畳の道に杖の音が響く。こちとら杖もお守りのホタテ貝もなく、ペットボトルの水だけでなんとも締まりがない。堅牢な城砦の赤煉瓦のスペイン門を抜け、市街地を抜けると、小麦畑が広がり、風景が一変した。小さな牧場が散在している。羊の群れと一緒になった。のどかな散歩の風情。ケイル君はじめ若者たちは歩きが早く姿を消した。

一人歩きも悪くない。回想や考えにふける時間は素晴らしい精神世界である。2時間歩いたら、赤土が剥き出すでこぼこ道に。ピレネー山脈のただ中に突入した。視界が広がり、連山望む見晴らしのいいオリソン峠に出た。標高800㍍。7㌔余歩いた。

そこから勾配がきつくなり、霧が深まり、牛や羊の鳴き声も止んでなんだか不安な感じに。あんなにいた巡礼者がいない。そのうち視界が途絶え、道が消えた。風が強まり、寒くなった。標高1,200㍍。高原の上から幾筋も山道が分かれ、どう進んでいいのかわからない。道を誤れば、遭難の危険がある。小石を積み上げ、シニア男性の顔写真を飾った墓標があった。転落か遭難したのだ。

二又路で立ち尽くした。どちらの道も道のようで道に思えない。緑の眺望は消え、靄の先は谷底かもしれないのだ。誰か来るまで待とう。じっとしていれば、危険はない。数十分後、深い霧の中から「Buen Camino(ブエン・カミーノ)」と声をかけられた。カナダ人の若い巡礼者。これが巡礼者の「Hello」。やっと助けられた思いだ。

「ほら、これ。黄色い矢印モホン。⇒印通りに進めばいいんです」

霧が晴れてきた。両側に緑鮮やかな木々が立ち並んでいる。野鳥がさえずるだけで森閑としている。湧き水で喉を潤わした。下り坂になった。ブナの枯れ葉を踏みしだく音が心地よい。目的地ロンセスバリェスまであと4㌔。樫の枝を杖がわりに拾った。

午後2時半、浅瀬の小川を渡ると、突如、三角屋根の白い巨大な建て物が見えた。アルベルゲ(巡礼宿)を兼ねた修道院。霧雨の中、リュック姿の巡礼者が次々吸い込まれてゆく。木の扉を押して中に入った。ホテルのロビーを思わせる。カウンターでオスピタレイロ(ボランティア)の女性が笑顔で出迎え。宿泊代12ユーロ。ケイル君らに握手攻め。まずはビールだ。25㌔も歩いた後のビールはこの世で最も美味い。オスピタレイロにたずねると、「こっちよ。さ」と自販機に。栓を抜いて一気飲み。ノンアルコールだ。ここは修道院。まあ、当然か。

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