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TamaHito 44
さるびあ亭かーこ さん
プロの紙芝居師として 人とモノ、まちをつなげます

『プロになれ!』 長男のひと言に奮起

町田を拠点に、全国どこでも呼ばれたら参上! 語り出したら止まらない。笑いあり、涙あり、ドキドキワクワク盛りだくさん! 見ている人を巻き込んで、丁丁発止のやりとりが最高の時間を生み出す。それが、プロ紙芝居師・さるびあ亭かーこさんの口演です。プロになって11年。そこには、波乱万丈の日々を笑いで吹き飛ばし続けた人生がありました。

1999年秋、当時小1だったかーこさんの長男。喘息で入院した大学病院で点滴を受けた翌朝、意識不明に陥り、失明とともに首から下が一切動かない状態になってしまったのです。

「6歳から17歳までの11年間、寝たきりの状態でした。その中で言語訓練をし、聞き取れる口パクになって会話ができるようになりました。そんな息子は私に『母ちゃん、病院にはテンションマックスで来いよ』と。二人でボケとツッコミを繰り返し、いたずらばかりを考えて、医療従事スタッフや院内学級の先生、そして友人に温かく支えられながら、笑いでいっぱいの日々でした」

地域で読み聞かせを続けていた母親の影響もあり、中学生で読み聞かせを始めていたというかーこさん。結婚・出産後にも図書館で読み聞かせを続けていた経験を生かし、長男の横で数多くの本や紙芝居を読んで聞かせました。

そんなある日、かーこさんは伝説のプロ紙芝居師に出会い、紙芝居の勉強を始めます。そして、長男から「母ちゃんのアホな能力を活かした方が良いよ」と背中を押すひと言をかけられました。かーこさんは「プロ紙芝居師養成オーディション」に挑戦します。

「オーディションを受けるためには合宿もあり、泊り込みです。その間、私は病院に来ることができません。『母ちゃん、病院に来られないけど大丈夫?』と聞くと『紙芝居のためだろ、なら大丈夫だ。プロになれ! 僕のことをネタに稼げよ』と言われたんです」
そして2010年、かーこさんは、紙芝居師としてプロデビューを果たします。

紙芝居師を職業に その先駆者を目指します

師匠の下で3年、全国を渡り歩き、かーこさんは街頭紙芝居を実演してきました。

「それまでの紙芝居は、『さあ、みんな大人しく聞きましょう』というスタイルが多かった。でも、街頭紙芝居は、双方向コミュニケーションのエンターテイメント。見ている子どもや大人とやりとりをしながら、話を進めていく。その楽しさに魅せられて、どんどんのめり込んでいきました」

そしてかーこさんは師匠の下を離れ、地元・町田を中心にした活動をスタートします。

「独り立ちして、『よ~し、町田中の全てのイベントに参加しよう!』と決めました。飛び込んで頼み込み、地域の祭りに出て、古典ものからオリジナルまでいろいろな街頭紙芝居を繰り広げました。そんな中で、『こんな紙芝居は作れる?』『こんなことで喋ってくれないかな?』と口演の他にも、紙芝居制作や教育講演、企業研修、イベントMCと活動が広がってきたんです」

活動がどんどん広がっていく中で、かーこさん一人で全てを回していくのは大変になってきました。そして2018年、「紙芝居を使ったコネクト」から『株式会社カミコネ』の社名で会社を設立。人とモノのつながりを大切にした事業として、イベントの企画運営や販促品の企画販売までと幅広く展開しています。

「町田のために、人とモノと地域をつなげたいです。例えば、販促品として企画販売を手がけている『町田摘み どんぐり茶』。町田市内の公園にあるマテバシイのドングリは、毎年廃棄処分されていました。それを収穫し、一粒ずつ選別。丁寧にお茶にしたものです。町田の名産品にも指定していただきました」

そのドングリ茶が縁で、11月14日(日)に、町田市芹が谷公園で開催される「縄文フェスティバル」に参加。パワフルなかーこさんの口演が楽しめます。

「個人としては、紙芝居師を職業として確立させたいですね。ビジネスとして成立させたい。その先駆者になる!との思いで、これからも喋って、演じ続けたいです」

 

プロフィール

1968年神奈川県相模原市生まれ。町田市在住。子どもの頃から人前に出るのが好きだったものの、学生時代を経てOL生活を送り、結婚。長男の誕生を機に、地域で何かをと「お話会ボランティア養成講座」に申し込み、読み聞かせの活動を始める。2009年から紙芝居の活動を開始し、2010年プロ紙芝居師に。第1回ニッポン全国街頭紙芝居大会in沼津最優秀賞。調理師、食品表示診断士、野菜ソムリエ、笑い療法士、リフォームソムリエほか多数の資格も保持。https://kamicone.co.jp

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