TamaHito 36
デンホード・ポール さん
和紙の奥深さに魅せられて、普段の暮らしの中にと願う
人の手による和紙
その魅力に魅せられて
幼い頃から絵を描くことが好きだったデンホードさん。大学で、紙を使う作品を手がけるうちに、使っている紙に興味の対象が移っていきます。カナダ・トロントの和紙店「Japanese Paper Place」を訪れたり、ニューヨークの紙製品会社に勤務する中で、「日本古来の紙、和紙が最も繊細で美しいと気がついて、興味が湧きました」と、当時を振り返って話します。
1995年には日本で開催された紙関係の会議に参加。1ヶ月ほど滞在する中、会議終了後は和紙の産地ツアーに参加し、さらには個人であちらこちらの和紙工房を巡りました。
「全く日本語はできない状態だったので、身振り手振りで教えを請う状況。でも、また来たい!と思いました」
アイオワ大学大学院で、海外の和紙研究の第一人者・バレット先生のもとで学びを深めた後、2002年、文部科学省の奨学金を得て再来日。デンホードさんは本格的な和紙研究を始めました。
思い出深いのは、新潟で小国和紙を作り続けている今井宏明さんとの出会い。紙漉きの青年の集いに参加したことがきっかけで、住み込みで紙漉き工房の職人として和紙づくりに向き合った2年半の日々。畑で楮を栽培し、加工し、毎日、紙を漉いて。自身の目で、手で、鼻で、耳で、全身で、和紙作りとは、を感じていきました。
「和紙は種類がたくさんあって、産地によって全く違う。それはどうしてなんだろうと。全国の産地を巡って、そこで使う原料、その割合、削り方、洗い方、漉く際の揺すり方などなどを詳しく調査し、それら一つひとつの違いが、その場所独自の和紙を生むのだとわかりました。和紙一枚からは、人の手が関わって作られていることが伝わってきます。そしてそこには人のつながりが見えもするし、だからこそ、その和紙を大切にしようと思う気持ちも生まれてくると思うんです」
地元産の和紙づくりで
人のつながりも育つかも
「日本在住で、バレット先生と共に和紙の美しさと意義を追い求めたのがフレイビン氏でした。氏は埼玉の地で畑を借り、和紙の原料となる楮作りから手がけていました。けれど、昨年他界。で、その畑を、私を含む3人で引き継いだので、楮を育てることからやることにしました。ミツマタやトロロアオイ、アイなどの材料も植えてみようかと思っています」
そんなデンホードさんが考えているのが、自身が暮らす三鷹市内で楮を育てること。地元産の和紙を日々の暮らしに取り入れられたらとの思いです。
「でも農地を借りるのがなかなか難しくて、前に進まない状態です。なので、多くの人に声を掛けて一株からでも育ててもらい、それを持ち寄ってもらってもいいんじゃないか?とか考えたりもしています」
そこでは新たな人と人とのつながりが生まれ、和紙という日本古来の文化をより多くの人に知ってもらい、親しんでもらえるという効果もあります。
「保育園で紙漉きのワークショップを行うのですが、いずれは卒園証書や卒業証書などを子ども達自身が漉いた和紙で作れるといいなと思っています」
「和紙をじっと見つめると、繊維が見える」とデンホードさん。その作られた工程はわからなくても、確かに人の手で作られているのがわかります。それが、紙に温かさを生み出し、触れる人の心に安らぎをもたらすのかもしれません。あなたの暮らしの中にも、そんな作り手の息遣いが感じられる和紙を取り入れてみませんか?
プロフィール
1969年カナダ生まれ。大学で美術を専攻し、紙に興味を持つように。トロントの和紙店「Japanese Paper Place」で和紙に触れ、ニューヨークの紙製品会社で勤務するうちに和紙の美しさ、繊細さに魅せられる。2002年、日本の文部科学省の奨学金を得て来日。日本各地の紙すき工房を訪れ、試行錯誤を繰り返しながら本格的に和紙の研究を重ねる。現在、和紙にまつわる講演やワークショップなどを展開。夢は、日本国内外全ての人に和紙の素晴らしい美しさ、またその多彩な用途を伝えること。三鷹市在住。