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モリテツのスペイン紀行27 「猫喫茶でひととき」(バルセロナその6)

 

モナリザ・ミステリーで盛り上がった一行は猛スピードでバルセロナに戻るなり、車を返したその足でBarへ。居酒屋横丁の通称Blaiピンチョス通り。つまみを乗せたパンを爪楊枝で刺したピンチョス専門店がずらりと並び、真っ昼間から酒飲みで賑わっている。日本の赤ちょうちんとそっくりの光景。瞬く間にピッチャーのセルベッサを平らげ、ワインボトル4本も空に。爪楊枝といってもちょいイメージが違う。とにかく豪華。勘定は爪楊枝の数でというから日本の焼き鳥屋と同じだ。

それから彼らはディスコへ。中だけ覗いてみようと付き合ったが、騒々しくて混みすぎて疲れもあるからクレマンさんと早々にタクシーで引き揚げた。西洋人の遊びは徹底している。男も女も朝帰りは普通。その間、踊りまくるのだ。韓国・ソウルのディスコに彼らとよく通ったが、踊るうちに何もかも忘れてストレス解消になることは確かだ。

 翌日は日曜日。やはり若者たちは未明まで踊っていたらしい。途中からマテウスとベン君も加わったとか。ロビーで朝食をとっていると、眠そうな顔のエミリアが顔を出し、ぼそりと言った。

 「しばらくしたらまた踊りに行くの」

 思わずパンを喉に詰まらせそうになった。それを見てエミリアは面白がっている。2時間後、ケイル・美帆嬢にベン君を含む4人がロビー集合。「大丈夫だから」という美帆嬢の誘いに乗って好奇心でついて行った。カテドラルに向かってぞろぞろ。広場がいつにもまして騒々しい。大きな人の輪ができている。シニア組が手をつないでフォークダンスか。

 「サルダーナっていうのよ。カタルーニャ版盆踊り。でもこちらは日曜ごとだから」

 エミリアがさっと入ると、50代の男性が主婦の手を放して仲間に加えた。哀調を帯びたメロディーはカタルーニャの民謡らしい。チェロやフルートを演奏する紳士たち。楽団の名は「コブラ」。なぜ物騒な名なのかわからずじまい。

 とにかくすごい数になってきた。1時間余り踊るらしい。昔から独立気運が強く、首都マドリードからも睨まれているカタルーニャ。民族の団結を互いに確かめ合う伝統舞踊でもあるという。

 踊る若者から離れて一人で静かになりたかった。人口550万人の大都会でありながら、ここにはふっと落ち着ける場に事欠かない。それこそバルサの見えざる伝統なのだろう。

 19世紀のいわゆるモデニスモ(一般にはアールヌーヴォー)という芸術の波。活気に満ちたこの地方ではラナシェンサ(ルネサンス)が起きる。ガウディやピカソを含む数多くの建築家や画家、美術家が多くの作品を残し、その遺産が1世紀以上たった今もそのまま街に息づいている。近代化と称して簡単に壊さない頑固さがある。

 そんなことを考えながら歩いていたら、カテドラル裏にあるピカソの壁画前に出た。この先200㍍にあるカフェがピカソデビューの地である。カフェ「Els Quatre Gats」(4匹の猫)でピカソは初めて個展を開いたのだ。

 中に入ってみる。1897年(明治30年)の創業。ここはモデニスモの芸術家たちのたまり場だったらしい。日本で言えば、岸田劉生や永井荷風が出入りした東京・銀座の「カフェー・プランタン」。

 ピカソが描いた作品がメニューに。バルセロナ出の画家ラモン・カザスの自転車に乗った自画像も有名らしい。

 昼食時だ。カタクチイワシ料理カンタブリアアンチョビ(12ユーロ)とデザートにカスタードクリームに赤い果実が乗った自家製クレマカタラナ(9ユーロ)をいただいた。

 バルサともそろそろお別れか。出発日は世話になったみんなにひと言相談せずばなるまい。その前に愛しきバルサの街を見下ろすモンジュイックの丘に上ろう。眼下に広がるバルサ(写真11)は喧騒もなく眠っているごとしだ。

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