Tama Hito 53
高井 由恵 さん
〝ケセラセラ〟は逃げる道 そんな生き方は選ばないで
バレエに魅せられ、バレエと共に生きる
「この地球のどこか。それがどこだとしても人と人が傷つけ合う戦争は決してあってはならない。心からこの世の中が平和であることを願います」と話す高井由恵さん。両親の仕事の関係でシベリアに生まれ、8歳で日本に帰国。第二次世界大戦を体験した一人です。
「母と二人の生活の中、幼いながら〝自分のことは自分でする〟行動的な子どもでしたね。日本に戻った時の東京は一面の焼け野原で、親戚、知人の居所もわからず、戦地で生死がわからなかった父の実家である岡山県倉敷市に母と1年間疎開しました」
そして再び、復興が始まった東京の世田谷に戻った高井さん。後の恩師である邦正美氏と出会い、創作舞踊研究所でバレエを始めました。以来高井さんはクラシックバレエの魅力に取り憑かれ、バレエ中心の毎日を過ごします。けれど、思うように役がつかない中、次第に人間関係に疲れ果て、バレエの道から離れてしまったと言います。
「キャビンアテンダントになるという新しい夢もでき、専門学校を卒業後、航空会社に就職。けれど身長が足りず大手ビール会社に転職したりさまざまな挑戦をしました。でも、何をしても足りないパズルのピースを埋めることはできず、辿り着いた先はやはり『バレエ』でした。この広い世界でやっと見つけた大切な一つのピース、自分のいるべき場所に戻り今日に至ります。今は一生バレエと生きる覚悟と共に幸せです」
何かにつまずいている、そんなあなたへ
紆余曲折を経ながらも、『バレエ』の世界を邁進し、現役で後進の指導もしている高井さん。
「一つのことを続けるのは並大抵のことではありません。それでも『大好き』『挑戦したい』という気持ちがあるのなら迷わずトライしてください。何度でも何回でも…。たとえ今は得られた結果が小さくても、続けていれば想像以上の結果が待っています」
「今は自分で選ぶことができる時代で、生き方も多種多様で良い」とも。
「私は全てをチャンスととらえ、強い心と体を維持できるよう日々心がけています。教室の生徒たちにも、『結局は自分の人生は自分でしか変えられない、自分で掴み取るしかない。〝ケセラセラ〟は逃げる道。そんな道は選ばないでね』と言い続けています」
あなたも是非、『これ!』を見つけ、全力でぶつかってみてください。
生徒さんに向き合うときは常に真剣。凛とした立ち姿が美しい。
プロフィール
シベリア生まれ。1946年、8歳の時に、中国新疆を経て広島の呉港に着く。その後、倉敷での生活を経て東京へ。小6でモダンバレエを本格的に習い始める。1956年、朝日新聞社主催・洋舞コンクールモダンダンス部門2位。斉藤恵子・井上博文・田中りゑ・漆原宏樹・小川亜矢子に師事。カルチャースクールで講師を務めた後、1986年、多摩市南野で「多摩バレエスクール」を設立。
現在も現役で指導に当たり、この4月、パルテノン多摩で、大人のための教室を開講する。日本バレエ協会会員。
多摩バレエスクール
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