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『もしもし』長谷川豊子の生きるということ
 その4「男の沽券(こけん)」

その4
「男の沽券(こけん)」

『もしもししんぶん』は途中から夫と二人三脚で続けてきましたが、給料は二人で一人分。印刷会社の営業マンとして第一線で活躍していた彼を巻き込んでしまったせいで、いろいろと苦労を掛けました。
もちろん、彼から恨みがましい言葉を聞いたことはありません。彼なりのプライドを懸けて決意し、社長となり、戦友として共に戦ってくれたのだと思います。

生きているだけで丸もうけと、明石家さんまさんが娘さんに付けた名前がイマルだと、最近知りました。
私の場合は、夫が側にいてくれるだけで二重丸でした。私は家庭でも仕事でも、彼の無口な男の沽券に守られ助けられてきました。

沽券なんて、もはや死語かもしれません。
けれど昭和の団塊世代の彼には、この言葉がパズルのようにピタリと当てはまります。
彼の沽券は責任感であり負けん気であり、そして愛情そのものでした。

会社の経営は創業から赤字続きでした。
印刷代は、当時、夫が勤める印刷会社の社長さんの好意で支払いを待っていただきましたが、夫から一度だけ「俺が担保だな」と言われたことがあります。
妻が支払いを滞っているわけですから、夫の立場は微妙だったのだと思います。
でも彼は起業から4年半年後には社長として会社を支えてくれるように。それがどんなに心強かったか。
何度か経営の危機があり、そのたびに二人で悩んで考え抜いて乗り越えてきました。
夫は会社も私も守り続けてくれました。男気のある素敵な人でした。

PROFILE

長谷川豊子(はせがわとよこ):
『有限会社もしもし』専務取締役。
1985年9月、『もしもし』の前身である『奥さまもしもし新聞』を一人で発行。以来第一線で、編集者として取材・執筆・広告営業にと走り続けてきた。


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