TamaHito 22
實吉 達郎 さん
90歳を超えてもまだ現役 やりたいことが次々と!
昆虫に夢中の少年が、動物を実体感するように
「UMA(ユーマ:Unidentified Mysterious Animal:和製英語)」という言葉をご存知ですか? これは、河童やツチノコ、ネッシー、ビッグフット等、謎の未確認動物をさす言葉で、1976年の誕生に携わったのが、動物研究家の實吉達郎さんです。90歳を超えてまだまだ現役で、これまでに著書は80冊を超え、今年だけで3冊の著書・監修本を出版。さらには、今年9月にはYouTube「實吉先生の動物の話」もスタート! 動物や昆虫の興味深い話を、聞く人を飽きさせない講談のような口ぶりで精力的に語っています。
幼い頃は昆虫採集に夢中で、蝶の標本箱も24箱も作成したと言います。
「でもね、焼夷弾で家と一緒に全部丸焼けになっちゃった。翌朝見に行ったら、庭石だけが残ってた。友達から本を借りるんだけどね、その友達が言うんだよ、『焼くなよ』って。そういう時代だったねえ」
戦後は昆虫への情熱は失せ、10数年は虫をとることもなかったと。東京農業大学で農業や養蚕、養鶏、畜産学を総合的に学び、御料牧場、動物園で動物に触れ続けてきました。
「どんな動物も触ってみないとわからない。象の牙がどこから出てるのかを探すために、象がどう思うかも感じながら口のなかに手を突っ込んだりもしたね。猛獣の恐さにぶるぶる震えながら餌をあげたり、檻の中の掃除もした。自分で体験しないとわからないことばかりだね。だから面白いんだよ」
やりたいことが、まだまだ無尽蔵に!
26歳で、日本の将来には希望が見えない…とブラジルへの移民を決意。
「同級生が先に行ってて、『こっちは良いぞ。来いよ』って便りをよこしてね。実際、行ったら何にもなくてがっかり。でも、いろいろな農場で働きながら人と話したり、英語や日本語、農業技術を教えたり。その合間に動物に会いに行って、見て、感じて、7年が経ってた」
帰国後は、縁あってテレビで動物のあれこれを話すようになりました。それまでの実体験、多読で積み重ねてきた知識は、多くの著書へとつながり、活躍の場はまだ続いています。
「やりたいことがありすぎて困るよ。昔、〝40、50は洟垂れ小僧、60、70、80でやっと人間がわかってくる〟って言われたことがあってね。そうだな、そうだ、って思うんだ。僕には〝ロートル〟だから…はない。まだまだ書きたいこと、話したいことがたくさんあるから。さあ、頭の中に花を咲かせよう!」
プロフィール
1929年広島県生まれ。町田市在住。動物研究家、作家。幼少期より昆虫、動物と親しみ、東京農業大学を卒業後、宮内庁下総御料牧場、野毛山動物園勤務を経て、1955年よりブラジルへ渡航。現地で移民生活を送りながら日々動物の研究に勤しむ。帰国後は動物研究の第一人者として活躍。近年、多摩地域での講演会や稲城のカフェイベント(ようこそ摩訶不思議ゾーンへ)に意欲的。近著に「日本人と動物の歴史」(株式会社カンゼン発行) YouTube「實吉先生の動物の話」で検索!